バルトーク「中国の不思議な役人」 ドホナーニ指揮ウイーン・フィル、ウイーン国立歌劇場合唱団田村隆一の「詩人からの伝言」を読む。
詩人ほど元手のかからない商売もないものだが、職業として成り立つかどうかは別の話。
詩で飯を食うほど難しいものはないだろう。
今の時代、詩でベストセラーを出すことはハレー彗星の到来よりも珍しいことじゃないだろうか。
有名なヒトでも、たいがい副業している。この田村ほどのヒトでもクリスティーの翻訳などをやっているくらい。もっとも、食えないから翻訳しているのか好んでやっているかはわからないけれど。
副業をしているとはいえ、詩人として生きていることはスゴイ。モテモテなのもうなづける。
その田村の含蓄深い言葉がこれ。
「自分が実際に経験した辛いこと、痛いこと、面白いことを素直に次の世代に伝えるのが、教養なんだよ。いろんな本から引用してしゃべることを、ぼくは教養と思っていない」。
「今は過去の上に在るんだぜ。過去と今はつながっているんだ。継ぎ目がわかりにくい積み木みたいなものさ。だから、過去を大事にしないということは、今を大事にしないということになるんだ」。
こうして田村の本からも引用しているワタシの文章などは教養のカケラもないわけである。
こういう話を、一杯やりながら聴いてみたかったものだ。
もちろん、お姉ちゃんを隣にはべらせて。
ドホナーニのバルトークは切れ味バツグン。
このバレエ曲は瞬間的に沸騰するような場面がいくつかあり、それはピアノ協奏曲2番を思い起こさせる。
あたかも短距離走の瞬発力のようなパワーは、バルトークを聴く醍醐味のひとつだ。
ウイーン・フィルは濃厚な響きを発揮しつつ切れ味よく応えている。トロンボーンとホルンと大太鼓の溶け合うところは、腹にどっしり響き渡って迫力満点だ。
この演奏は70年代の録音だが、この頃のウイーンフィルがこんなにバルトークをよく鳴らせているのは珍しいことなのじゃないかと思う。
当時FMで聴いたムーティとのオケコンはひどく精気に欠いたもので、とても一流と言われるオケのものではないように思い、軽いショックを受けたものだ。
技術的な問題も抱えていたが、それよりもバルトークの音楽に対する姿勢が消極的というか慣れていないことが原因だったように思う。
それを考えると、このドホナーニの指揮は素晴らしい。覇気に満ちている。オーケストラのねじ伏せかたはショルティ並み、でもこういう指揮者をウイーン・フィルは好まないのだろうな。
1977年、ウイーンでの録音
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