エドガー・アラン・ポー(巽孝之訳)の「黒猫」を読む。
「黒猫」を読むのは30年ぶりくらい。雰囲気は覚えているが細部は忘れていた。ああ、こんなにエグい話であったか。
アル中の主人公が自己弁護する。彼のやりきれない思いがこの言葉に集約される。
「かてて加えて、絶体絶命の破滅をもたらすかのごとく、『天邪鬼』の心が頭をもたげてきたのだ。この心に関する限り、哲学は何も説明してくれない。とはいえ、自分の魂が生きているのが確実だとするなら、天邪鬼こそは人間の心を司る最も原始的な衝動のひとつだと-人間の人格を導く分割不能な基礎能力ないし情緒のひとつだと-いうことも確実なのではあるまいか」。
共感せざるを得ないな。
ボニング指揮ナショナル・フィルの演奏で、チャイコフスキー「白鳥の湖」全曲を聴く。
CD3枚でトータル時間は164分余り。所有するデュトワ盤やサヴァリッシュ盤、プレヴィン盤、スラットキン盤はいずれも2枚組であり、これらよりも長い。ボニングのテンポは目立って遅いところはないので、デュトワたちがカバーしていない曲を掬いとっていると思われるが、具体的にどの曲なのかはまだわからない。けれども、ボニングは彼らとは違い、高名なバレリーナであるマルコヴァから踊りのテンポを学び、それと音楽そのもののテンポとの融和の具体化を真剣に追求し、チャイコフスキーのみならず19世紀の数多くのバレエ音楽に取り組んだ本物のバレエ指揮者である。なにか考えがあってのことであろう。なによりこの素敵な音楽をより長く聴けることはありがたい。
ボニングの指揮は、中庸なもの。とんがったところがなく、ふうわりとした幻想味を醸し出しているあたりはプレヴィン盤に似ている。聴きどころはたくさんあるが、やはり3幕の一連の外国の踊りにとどめをさす。この演奏でもまた、聴いて高揚感を覚えずにはいられない。
ナショナル・フィルは録音用のために臨時で編成されるオーケストラだが、ロンドン交響楽団やフィルハーモニア管弦楽団などロンドンの有力なオーケストラのメンバーが多数参加しており、高い実力がある。ずっしりとした厚い響きを出す。個人技では、凛としたオーボエとフルートがいい。
ただ、アンサンブルはあまり固くない。大らかといってもいい。バッファーを多めに取ることによって、踊り易くするといった配慮なのかもしれない。
1976年8月、ロンドン、キングズウェイ・ホールでの録音
電器屋。
重版できました。
「ぶらあぼ」4月号に掲載されました!PR