「万葉集」(口訳:折口信夫)を読む。
万葉集は、600年から759年までに書かれたものを編纂している。部分的には「古事記」よりも古い。奈良時代の後期には完成したものとみられる。
これは当初、万葉仮名(漢字)で書かれたものの、後の平安時代に読み方がわからなくなったため訓点(読みがな)をつけた。これは、この折口版でも踏襲されている。
この歌集も「古事記」と同じように、いちいち意味を追っていったら終わらない。なので例によって、日本語の感触を楽しむことに専念して読んだ。
万葉集は約4500首の歌からなり、折口はすべて対応している。この本では池澤夏樹が203首を抜粋して掲載。何十世紀もの時を乗り超えて生き続く歌を選抜するのは恐れ多いが、気に入った歌を以下に挙げる。
奈良の情緒は今なお、いきいきと通じているという思いだ。
熟田津に船乗りせむと月待てば、潮も適ひぬ。今は漕ぎ出でな
「伊予の熟田津で、舟遊びをしよう、と月の出を待っているうちに、月も昇り、潮もいい加減になってきた。さあもう漕いで出ようよ」 ← これが折口の口語訳
家にてもたゆたふ命。波の上に浮きてしをれば、奥所知らずも
「家にいてさえも、定りのない揺うているような人間の命だ。がこうして、波の立つ海上に浮かんでいると将来どうなることやら、的のつかないことだ。」
しるしなく 物思わずは、一杯の濁れる酒を 飲むべかるらし
「役にも立たないのに、色々考えこんでいるよりは、一盃の濁った酒を飲んだ方がよいにきまっている。」
【結論】酒を飲まなきゃやってられないのは、昔も今も同じ。
バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルの演奏で、ラヴェルの「ボレロ」を聴く。
このCBSボックスにはニューヨーク・フィルとフランス国立管弦楽団との2種の「ボレロ」が収録されている。まずは1958年のニューヨークを。
全体を通してとても軽やかな演奏。個人技では艶のあるソプラノサキソフォンと凛々しいトロンボーンを気に入ったが、どのパートも難なく吹ききっている。弦楽器は後半になるにつれて厚みを増してゆく。ラストは一見豪壮に鳴らしているものの、バーンスタインの目は意外に冷めているようだ。
この時期のコロンビア録音にしては厚い雲に覆われている。おフランス感を演出したかったのだろうか。欲を言えば、もう少し明瞭な音質のほうが好み。
1958年1月、ニューヨーク、ブルックリン、セント・ジョージ・ホテルでの録音。
電器屋。
重版できました。
「ぶらあぼ」4月号に掲載されました!PR