平井裕子のソプラノと前田ヒロミツのテノールの歌曲リサイタルを聴く。
会場のソフィアザールサロンは一軒家の広いフローリングの居間。音楽ホールではないから残響は豊かとは言えないものの、演奏者の近くで聴ける利点があり、とても楽しく聴くことができた。
プログラムはイギリスからフランス、ドイツ、スペインと多彩。聴いたことのない歌を披露してくれたが、どれも親しみやすいもので、堪能できた。
ヘンデルの「愛を望み」と「疑いや恐れは脇に置き」は、平井と前田がそれぞれ、歯切れのいい歌を聴かせた。これは名刺代わり。
クイルターは19世紀から20世紀にかけて生きたイギリスの作曲家。今年はシェイクスピアの没後400年だそうで、それに因んだのか、「3つのシェイクスピア歌曲」は昼下がりに頂く甘いお菓子の風情。親しみやすいことこの上なく、しかも上品な佇まいの曲を前田がバランスよく歌う。
ウォーロックは20世紀に36歳の若さで夭折した。解説によると、愛猫が逃げたことに悲観して自殺をしたのではないかという説があるらしい。人生いろいろである。「眠り」と「子守唄」は、苦い大人のテイストをスプーン一杯溶かしたような曲で、これも前田が柔らかい声で歌いきる。
フォーレからは「蝶と花」、「愛の夢」、「私たちの愛」を平井のソプラノで。フォーレは生涯に120曲ほどの歌曲を遺したらしいが、なかでも「蝶と花」は彼が15歳で作った曲。若さゆえの高揚と未知の世界への憧れが歌われた。どれも3拍子だったと感じた。期待と不安とが織り混ざる躍動感があった。
ドビュッシーは「死化粧」、「アリエルのロマンス」、「出現」、「中国風のロンデル」。彼も110曲という少なくない数の歌を残したという。これらは、平井の硬質でひんやりとした声質はこれらの曲に合ったいたと思うし、またコロラトゥーラのような技術を要する音楽を、注意深く丁寧にコントロールすることで、フランス的な、あるいはもっと広い世界の愉悦感を醸し出していて素敵だった。
シューマンからは「献呈」と「君は花のように」を前田が。フォーレやドビュッシーもいいけれど、これらを聴くと落ち着くということは白状しなければならない。前田の堅実な柔らかい声が、前期ロマン派のエッセンスを彩っていた。
アーンはフランス国籍であるが、ベネズエラの出身なのだそう。だからといって感じたわけではないが(?)。フランスっぽい色は薄く、むしろエキゾチックな味わいがある。ヘンデルのような古典的な風合いも感じるし、無国籍なようでもある。平井の伸びのある声で歌われた。この作曲家、もう少し聴きこんでみないとわからない。
あとはグラナドスとロルカ、オブラドルスから1曲ずつ。それぞれ、ラテン的な匂い、さすらう若者の息遣い、情熱的な誘惑というものを感じた。
普段はあまり聴くことがない歌曲を聴かせてくれて感謝したい。とくに気に入ったのは、ウォーロックとフォーレ、ドビュッシーなのだった。あとのふたりは著名だが、わたしは彼らのリートをよく知らないのだ。これから注目したい。
それからもちろん、今日歌ってくれた歌手とピアニストにも。
ソプラノ:平井裕子
テノール:前田ヒロミツ
ピアノ:三平順子
ピアノ:芦沢真理
2016年3月20日、駒込、ソフィアザールサロンにて。
いっぷく。
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