藤本篤志の「社畜のススメ」を読む。
「多くの成功者がビジネス書や自己啓発本で示す『私はこのようにしてきた。だからあなたもこのようにしなさい』という教えは天才型、もしくは超エリート用のものです。」
著者は何人かの自己啓発本作家を分析する。
経済評論家の勝間和代は著書「断る力」を書いている。だが彼女は、若い頃にマッキンゼーにいた頃に究極の優等生と言われていた。というのは、上司から言われたことを率直に淡々とこなしていたからだそう。でも、断る力が必要になったと感じるのは、その従順な時代があったからこそである。
トリンプ経営者の吉越浩一郎は著書「『残業ゼロ』の仕事力」などで「残業ゼロ」ブームの嚆矢となった。けれども、彼は若い頃はずいぶんと残業をしたものだと振りかえっている。「夜十時すぎまで働くのはあたりまえ、それでやっと帰れると思っても、上司から『飲みに行くぞ』と誘われれば、日付が変わるまでつきあわなければなりません」。そういう経験を経てきた。
東レ研究所顧問の佐々木常夫はいくつかの著書で「ワーク・ライフ・マネジメント」を提唱している。しかし、自殺未遂で入院している奥さんの代わりに3人の子供を養うために毎日定時に帰る必要があり、必死の思いで考え、究極の効率術を身につけた。そういう経緯があるのである。
というわけで著者は、自己啓発書は鵜呑みにせず、まずは愚直に仕事をすることが大事だよ、と若者に語りかけているのである。
特にカツマーは要注意!(ブームは去ったか?)


ショルティ指揮ウイーン・フィル他の演奏で、ヴェルディの「オテロ」を聴く。
これは、全体を通しておおらかな演奏。
録音されたのが1970年代後半というところがミソだろう。1960年代のショルティならば、ウイーン・フィルを始めとしてサンタ・チェチリア管弦楽団やローマ歌劇場、あるいはコヴェントガーデン歌劇場といったところを振っても、満遍なく鋭角的でありダイナミックであった。あたかも、鋭利なナタで薪をバキバキ切り裂くような。シカゴ交響楽団の音楽監督になってからしばらくはそういったスタイルであったが、だんだんと柔和になっていく。
この演奏がそうで、ここぞというところの迫力はじゅうぶんだが、だいぶ角がとれている。ゆったりとしていて呼吸が深い。そういったところを目指して、彼を含めたプロデューサーたちがキャスティングしたのであろうと推察する。
コッスッタは当時最高のオテロ歌いのひとりであったそうだが、とても落ち着いた歌いぶり。輝かしさもある。危なげがない。知性の高い総督である。バキエのイアーゴは少々こぶり。小悪党のような。それがいいのか。
プライスのデズデモナは素晴らしい。声が艶やかで伸びがあり、仄かなお色気が漂う。こういう女ならば、オテロが狂うのも無理はない。
カルロ・コッスッタ(テノール:オテロ)
マーガレット・プライス(ソプラノ:デズデモナ)
ガブリエル・バキエ(バリトン:イアーゴ)
クルト・モル(バス:ロドヴィーゴ)
ペテル・ドヴォルスキー(テノール:カッシオ)
ジャーヌ・ベルビエ(メゾ・ソプラノ:エミーリア)
クルト・エクヴィルツ(テノール:ロデリーゴ)
スタッフォード・ディーン(バリトン:モンターノ)
ハンス・ヘルム(バス:伝令)
ウィーン国立歌劇場合唱団
ウィーン少年合唱団
1977年9月、ウイーン、ソフィエンザールでの録音。
夜。
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