トーマス・マン(高橋義孝訳)の「魔の山」(上巻)を読む。
「同じ習慣を長年続けているとどういう原因から有機体が緩み鈍くなるのか。それは、われわれの肉体や精神が人生のいろいろな要求のために疲れたり消耗したりするからなのではない(疲労や消耗がその原因であるならば、それを回復させるためには休息という薬がある)、原因は、むしろ心的なものにある。つまり時間の体験が原因なのである。」
本書は、「ファウスト」や「ツァラトゥストラはこう言った」と並ぶドイツ文学の金字塔とされている。前者はまだ読んでいないし、後者は読んだが正直言ってよくわからなかった。さて、これはどうか。
ストーリーはいたってシンプル。山の上にある療養所に、いとこに会いに訪れた造船技師のハンス・カストルプが、施設の人びとと邂逅する、という話。
療養所といっても、決まった時間帯に簡単な検診があるだけで、一日5食つき、朝からビールは飲めるし、葉巻も吸い放題。
当初は3週間の滞在予定だったのが、体の不調を発覚され、滞在日数は延びに延びる。時間は毎日規則的に、ひどくゆっくりと流れる。
テーマは大きく三つに分かれると思う。
まず、登場人物の啓蒙的な会話。歴史を紐解きながら、政治・文学・音楽・宗教・病気・肉体と精神などについて語られる。
つぎに「神」(著者)の視点から語られる時間論。本書のもっとも大きなテーマと思われるが、少々難解。
そして、恋愛。
ハンスの恋は、物語のスパイスのような形で挿入される。だが、最後に置かれたショーシャ夫人との会話は強く印象に残る。甘く瑞々しい仄めかしと霊感に富んでいて、初期恋愛のピリピリとした緊張感が、おそろしく精緻な筆致で描かれている。心動かさずにはいられない。
時間が、ゆったりと流れる。
前半は退屈であったが、その後は一気に読んだ。
マーツァル指揮チェコ・フィルの演奏で、マーラーの交響曲5番を聴く。
チェコ・フィルは濃厚な芳香が漂うトランペットからトゥッティ、豊かなホールの残響と相俟って、分厚い響きを聴かせる。重くて激しいチェロと、鮮烈で軽やかな小太鼓との対比も面白い。
ホルンの音色は、ウイーン・フィルともコンセルトヘボウとも、もちろんシカゴとも違う。古きゆかしき鄙びた味わいをわずかに残しつつ、力強く、近代的に洗練されている。3楽章はもちろん存在感抜群であり、終楽章においてもキラリと光る。とくに、2楽章の終わりの部分での鳴らせ方は、一風変わっていて面白い。
ディスクによって、ホルン奏者のクレジットは出たり出なかったりだが、ここには記載されている。
マーツァルのマーラーを、ここまで1番、4番と聴いたが、この曲に対しても中庸なアプローチをとっている。極めて、折り目正しい。
枝葉は柔らかかったり固かったり、華やいでいたり萎んでいたりするが、1本の太い幹は揺るがない、という感じ。
だから安心して聴いていられるけれども、驚きは少ない。それを求めるのは贅沢か。
オンジェイ・ヴラベッツ(ホルン)
ヤロスラフ・ハリーシュ(トランペット)
2003年10月、プラハ、「芸術家の家」ドヴォルザール・ホールでの録音。
春。
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