堂目卓生の「アダム・スミス」を読む。
「他人の一方的な判断から自分自身を守るために、われわれはまもなく、自分と自分が一緒に生活する人びととの間の裁判官を心の中に設け、彼の前で行為していると思うようになる。彼は、非常に公平で公正な人物であり、自分に対しても、自分の行動によって利害を受ける他の人びとに対しても、特別な関係を何ももたない人物である」
本書は、「国富論」を新たに読み直すために、「道徳感情論」に示された人間観・社会観を踏まえながら「国富論」の新たな解釈に挑んでいる。
前半は「道徳感情論」、後半が「国富論」について記述されているが、前半を気に入った。
上記の引用は、デカルトの「道徳上の規則のいくつか」のなかの「格率」に似ている。「公正な裁判官」がそうだ。そしてそれはカントの道徳論にも引き継がれていると思うし、スミスとカントは同時代人なのである(スミスは1723年、カントは1724年に生まれている)。どちらが先かということではなく、高度な知識人は共通してそのような考えを持っていたのだろう。そしてそれは西洋哲学の流れに綿々と引き継がれ、やがてシェーラーの倫理学に発展する(と思う)。そのあたかも一貫しているような流れに普遍性を感じる。
「道徳感情論」は岩波や講談社から文庫で出ている。読みたいが、長いな。。


ラトル指揮バーミンガム市交響楽団・他の演奏で、マーラーの交響曲8番を聴く。
これは、歌手と合唱、オーケストラのバランスがいい演奏。
とくに、ソロ歌手は際立っている。
1部はとても快活。オーケストラの状態がとてもよく、危なげがない。ソロ歌手は特に3人のソプラノが絶好調、伸びやかな声をおしみなく繰り広げる。合唱は迫力があり、音質の密度が濃い。児童合唱は瑞々しくてステキ。1部は全体を通して、レヴェルが高い。
でも、この曲のキモは2部にあるので、ここがよいからといって油断ができない、ということで過剰な期待をせずに2部を聴く。
ラトルのオーケストラは、ここでもとても丁寧で精緻な演奏を聴かせる。ライヴ録音とあるが、ミスがなさすぎるので、ツギハギかもしれない。まあそれはいいとしよう。
スケールの大きさという点では、他にいい演奏があるものの、とても聴きやすいことは確か。
歌手の面々、不勉強なので誰も知らない。でも、みんなとてもよく歌っている。アクがなく、オーケストラに溶け込んでいる。聴きやすいという点では、同曲異演盤のなかで最高クラスかもしれない。
ジョンソンが歌う法悦の教父は立派。声は若いようだが輪郭がはっきりしている。レリアによる瞑想する教父は威厳たっぷり。可愛らしくもなかなか厚い響きを聴かせる天使たちは素晴らしい。ヴィラーズのマリア崇敬の博士も負けずに、張りのある美声で力強く愛を歌い上げる。罪深き女はブリュワーだろうか、声をずり上げるところがポップに少し似ていてチャーミング。サマリアの女、エジプトのマリア、グレートヒェンも整っている。
じょじょに高みに登りつめるところは自然。ラストでついにバンダが全貌をあらわしたとき、背筋が痺れた。
クリスティン・ブリュワー(ソプラノ)
ゾイレ・イソコスキ(ソプラノ)
ユリアネ・バンゼ(ソプラノ)
ビルギット・レンメルト(アルト)
ジェーン・ヘンシェル(アルト)
ジョン・ヴィラーズ(テノール)
デイヴィッド・ウィルソン=ジョンソン(バリトン)
ジョン・レリア(バス)
バーミンガム市ユース合唱団
ロンドン交響合唱団
トロント児童合唱団
2004年6月、バーミンガム、シンフォニー・ホールでのライヴ録音。
夜。
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