小谷野敦の「日本文化論のインチキ」を読む。
「『恋愛』という言葉が、明治期に作られた、というのはいい。これは事実である。しかし、だから恋愛に当たる概念は明治以前にはなかったというのは、おかしいのである。これは土居健郎が『甘え』に当たる語は西洋にはないから、と言ったのと同じで、たとえば『非モテ』という言葉がない時代にも『非モテ』な男女はいたわけである。『セクハラ』という言葉がない時代にもセクハラはあったわけである。」
小谷野の本、相変わらずメニューが盛りだくさんである。ヘーゲル批判からポストモダン思想批判、ユング批判、岸田秀批判、江戸時代はよかった批判、土居健郎批判など、気にくわないものはバサバサと切り捨てる。ぞれぞれ、言いたいことはわかるし、納得する点も多い。
ただ、彼の豊富な知識はとても新著一冊には収まりきらないため、どれも端的すぎる、というか消化不良気味。もったいない。
次作からはもう少しテーマを絞るか、何冊かにわけたほうがよいのではないかと思う。
ボロディン四重奏団の演奏で、ベートーヴェンの弦楽四重奏15番を聴く。
昔に読んだ本で名前は忘れたが、芸術作品の最高峰は何か? というようなアンケートがあって、それをまとめたものがある。「聖書」、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」、ミケランジェロの「ピエタ」、ゲーテの「ファウスト」、「源氏物語」、キューブリックの「2001年宇宙の旅」、音楽はバッハの「マタイ受難曲」やモーツァルトの「フィガロの結婚」などがあがっていた。そのなかで、ベートーヴェンの14番の四重奏曲を一番に推す人が何人かいたのが印象に残っている。
当時はまだこの曲を聴いたことがなかったが、後年になって面白く聴くことができるようになると、納得はした。ベートーヴェン中期のいきりたったボルテージはそのままで、そしてさらに深堀し、遊びなくギチギチに書かれたこれは作品である。7楽章などはすごくカッコいい。そして、偉い、といえばエライ曲。だから、気軽に聴こうとは思わない。
それに対し、15番の四重奏曲は、もっと親密だ。いつも不機嫌そうなベートーヴェンが微笑んでいる。とくに「リディア旋法による、病より癒えたる者の神への聖なる感謝の歌」と題された3楽章は、とても穏やかで優しく、静かな喜びに満ちあふれている。何度聴いても飽きないし、もっと聴きたい、と感じないわけにいかない。
病というのは腸カタル。一時期悪化してしまい床に伏せ、2楽章まで書いたところで、作曲を中断する。保養地で療養し回復すると、当初は4楽章制を想定したものに、この3楽章を加えて、5楽章制とした。
ボロディン四重奏団の演奏は、たっぷりと抑揚がついていて、滋味がある。要所で素敵なヴィブラートをきかせるコペルマンのヴァイオリンは素晴らしい。
残響を多めにとった録音が柔らかな仕上がりになっている。
ミハイル・コペルマン(vn1)
アンドレイ・アブラメンコフ(vn2)
ドミトリ・シェバリン(va)
ヴァレンティン・ベルリンスキー(vc)
1988年6-7月、サマーセット、チャード、フォード・アビーでの録音。
カフェ。
PR