エドガー・アラン・ポー(巽孝之訳)の「モルグ街の殺人」を読む。
「まず問題の立て方として『どんな事件が起こったか』ではなく『どのような意味で前代未聞の事件だったか』と尋ねなくてはならない。げんに、ぼくにはすぐにわかる-あるいは、もうわかってしまった-この事件の解決しやすさは、警察の目には解決しにくさと映っている事態と正比例する。」
読み進めても犯人がわからなかったので、どうも初めて読んだみたい。いまさらである。
この作品は言うまでもなく、探偵小説の嚆矢となった小説。起承転結が明確であることに加え、探偵役とその相棒とのコンビの確立、警察との確執、証人たちの証言のあやふやさなど、すでに推理小説として完成し尽くしている感がある。
これ以降のクリスティーとかクイーンなどといった作家の作品が、ポーの後塵を拝していることは否めない。もちろん、彼らが素晴らしいことには変わりはないけれども。
それにしても、今読んでも、じゅうぶんに新しい。参りました。
ウラディーミル・アシュケナージのピアノで、ブラームスの「ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ」を聴く。
これは全体的に明るい色調のブラームス。
アシュケナージのテクニックは万全。録音当時、彼はロイヤル・フィルの音楽監督を軸に本格的な指揮活動を行っており、ピアノを弾くよりも指揮者としての活動のウェイトが大きかったはず。でもそんなブランクを感じさせないくらいに滑らかなピアノを聴かせてくれる。フォルテッシモでも音が割れない艶やかな響きを聴かせてくれる。流れに淀みなし。
ただ全体を通して、いささか一本調子の感がある。陰影が薄い。この音楽は、各変奏の表情の移り変わりが面白いわけで、それは微笑みだったり、ときにはしかつめらしい顔だったり。悲哀があってこそ、喜びは映える。
第1変奏や最後の変奏みたいに元気な曲はそれなりにいいのだけれど、第5、第6変奏曲のようなバロック感溢れる荘厳な音楽は、明るすぎるきらいがある。優等生が音楽室で気晴らしにピアノを弾いているみたいに、気持ちは朗らかだ。
そういった意味で、少し物足りないと感じる。
録音は、デッカにしてはぼんやり。
1991年12月の録音。
春。
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