ベルリオーズ「ファウストの劫罰」 インバル指揮フランクフルト放送饗、他池田清彦の「正しく生きるとはどういうことか」を読む。
論理的で切れ味のいい文明論。
「マレーシアのムゾーのセマイ族は、男は主に狩猟に従事し、女は山菜取りに従事している。セマイ族は森を大切にし、森の多様性を充分活用している。豊かな森の恩恵をうけ、一日に三~四時間しか働かない。現代人は一日に何時間働けば気がすむのか。善く生きるためには、金沢城のヒキガエルたちのように、なるべく働かないでボーッしていることが大事だと思う。不必要に働くのはちっとも優雅じゃないし、大体エコロジカルじゃない」。
昔から思っていたのだが、みんなが一日に12時間以上の睡眠をとれば、世界はもっとよくなるのじゃないかと思う。
消費が少なくなるから、生産を減らすことができる。生産が少なくなるから、必要以上に働かずに済む。
睡眠はじゅうぶんだから精神衛生もよいし、寝ているあいだはお金も使わない。いいことずくめである。
みんなそうしよう。
ベルリオーズがこの曲を作ったのは1846年。同じ年にパリで初演されたが、完全な失敗だったらしい。
オペラと交響曲との中間に位置するような折衷的な形式がよくなかったのではといった意見もある。
自由な形式であるがゆえのつかみづらさはあるものの、個々のメロディーの美しさや色鮮やかな管弦楽の妙、浮世離れした霊感、そして圧倒的な迫真力において、この曲は近代300年の音楽史史上の最前列に名を連ねる名作だと言える。
ハンガリー行進曲や空気の精たちのバレエ、妖精のメヌエットといった有名曲における、独特で濃厚なインスピレーションの香りの魅力はいうまでもないが、力感溢れる男性合唱を核とした前半部分と、あるときはトリッキーあるときは抒情の色が濃い独唱が活躍する後半とのバランスもいい。
この音楽の興奮は「地獄への騎行」でピークに達する。気ぜわしく反復する弦を土台に、オーボエの悲痛な旋律が重なるところの緊張感は、単純ではあるがまっすぐな熱狂がある。
インバルの演奏は、気を衒わないまっとうなもの。すみずみにまで気を配ったリードは実直と言っていいぐらい。もう少し荒っぽいくらいのほうが迫力は増したのじゃないかと思うが、それは録音の性質によるのかもしれない。デノンのPCM録音は強音にもビビることなく安定しているが、メタリックで平板だ。
インバルはそれでいつも損をしている。
マリア・ユーイング(ソプラノ)
デーネシュ・グヤーシュ(テノール)
ロバート・ロイド(バリトン)
マンフレード・フォルツ(バス)
クリスティアーネ・エルゼ(ソプラノ)
ケルン放送合唱団
シュトゥットガルト・ジュートフンク合唱団
ハンブルクNDR合唱団、他
エリアフ・インバル指揮フランクフルト放送交響楽団
1989年2月16-18日、フランクフルト、アルテ・オパーでの録音
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