サンソン・フランソワ(Pf)稲森和夫の「ど真剣に生きる」を読む。
著者は京セラの創業者であり、のちにKDDIを設立して会長に就任。今年から「沈まぬ太陽」を地でいくように日本航空の会長に就き、大胆かつ速やかな再建に取り組んでいることはご存じの通り。
名実ともに日本を代表する実業家である。
著書も多く、それぞれ内容が濃い。基本的には精神論を前面に立てた説教本といえなくもない。しかし、実業家としての突出した腕前が説得力を生んでいるといえるし、なによりも文章から誠実さが漂っているところが信頼できるのだ。
ひとつ引用しよう。会社とは誰のものか、というよくある疑問に対し、著者は断言する。
「全従業員の物心両面の幸福のためにある」。
こんなことを言うと、「けしからん」なんて文句を言う株主がいるわけだが、それにはこう答えるという。
「従業員みんなが安心して、喜んで働いてくれるような会社にする。さらには広く社会から信頼と尊敬を受けるような立派な会社にする。その結果として、すばらしい業績を実現する。そうすることが、ひいては会社の価値を高め、株主にとっても望ましいことになるはずです」。
フランソワのショパンは昔からわりと気に入っている。彼のピアノを「病的」という人もあるようで、確かに退廃的というか気だるい雰囲気を醸し出しているような気はする。ただ、それを言ったら音楽家なんて病人ばかりになってしまうようだ。だから、単にユニークというくらいのほうがいいのじゃないかな。
この人のピアノを最初に聴いたのは、中学のとき。ショパンの64-2のワルツだった。いまでもよく覚えているのは、ちょうど同じ時期にラジオでやっていたアシュケナージの演奏と聴き比べられたことが印象に残っているからだと思う。フランソワの淡々としたテンポのなかからにじみ出る雰囲気にくらべて、アシュケナージのはもったり遅く感じたもので、どちらが好きかといえばフランソワのピアノのほうだった。
そういうこともあって、フランソワのショパンは、時折思い出したように、少しずつ集めている。ノクターン、プレリュード、スケルツォに続いて、ソナタにたどり着いた。遅い歩みだ。
この3番は、テンポのつけかたがいい。どの部分も腑に落ちる。いつもは後ろから突き飛ばされるように聴こえる冒頭は、紆余曲折迷った末にようやっと飛び降りるような優柔不断なところが素敵だし、昼下がりの人妻のような3楽章もアンニュイでよろしい。終楽章フィナーレで細かいところを変化させた感触は、スーツを気崩した粋な紳士のような雰囲気がある。ピアノの音そのものは、軽いタッチのなかにほんのりとした粘りがあって、これもおいしい。いい演奏である。
2番も素晴らしい。甲乙つけがたい。
1964年3,5,6月、パリ、サル・サグラムでの録音。
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