シューベルト「弦楽五重奏曲」 エマーソンSQ ロストロポーヴィチ(Vc)朝日新聞の土曜版に「悩みのるつぼ」というコーナーがある。読者からの悩み相談の投稿をもとに回答者が相談にのるといった、よくあるものである。このコーナーでは週替わりで回答者が変わる。上野千鶴子や岡田斗司夫といった論客が顔を揃えるがなかで一番すごいのは車谷長吉だ。圧倒的な暗さと重さが光り輝いている。ひねりのきいた上野や岡田の回答も、車谷と比べてしまうと全然生ぬるい。
今週は40歳代の女性の悩み。兄嫁に財産をすべて取られるなど仕打ちをうけた憎しみが忘れられない、というもの。
それに対する回答。
「私がいつも思うことは、人間としてこの世に生まれてきたのは不幸なことだな、ということです」。
「『強欲だけ』というのが、ある意味もっとも『人間らしい』とも言えるので、人間としてこの世に生まれてきたことには、基本的に救いはないのです」。
「救いのない自分の人生をどう救うか。それには哲学・文学・宗教(新興宗教の目的はカネ取りです)に触れる以外ありません。少しでも『仏の慈悲』を見習うことが、必要です。人生には『楽』はありません」。
腹に響く言葉である。頭を垂れてしまう。
ただ、休日の朝にはちょっと重い。
シューベルトの弦楽五重奏曲は1828年の夏に作られている。死の2か月前の作品であるから、最後の3つのピアノソナタと並んでオーラスの作品といっていい。
この五重奏曲が出版されたのは25年後のこと。シューベルトは作品の完成後に出版商のディアベッリに楽譜を託したものの、ディアベッリは営業的に見合わないとして出版を見合わせたので、こんなに遅れたらしい。50分以上もかかる曲だから気持はわからなくもないが、素人ならともかく作曲家のはしくれとしての見識はなかったのだろうか。いやな野郎である。
この音楽はハ長調で書かれていて全体に明るい雰囲気を持つが、演奏によっては影の濃い重厚な顔も見せる。先日に聴いたフィッツウィリアムの演奏がそうだった。分厚いハーモニーで曲をわしづかみにして、どろどろとした情念を発散させた「デモーニッシュ」なシューベルトの音楽だった。
このエマーソンによるものはもっと軽やかなもの。ひとつひとつの楽器を明確に浮き立たせて見通しがいい。メロディーを歌わせることに重点をおいているようだ。終楽章にはポルタメントを効かせたりして、甘さもほどよくのっている。
作曲された背景を知らなければ、この演奏を聴いて死の直前の作品とは思えないのじゃないかと思う。
1990年12月、ドイツ、シュバイエルでの録音。
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