ヴァレリ・アファナシェフ/シューベルト ピアノ・ソナタ第18番「幻想」急な仕事が入って、13日(土)は出社することになった。まあ、土日はいつも寝ているだけのダラダラ生活なので、ヒトの役に立てるのなら休日に会社に行くのも悪いことではないかも知れないが、睡眠時間を削るのはツライ。
通常のヒトの睡眠時間の基準は大体6時間から7時間とされているようだが、私は勤め人でありながら8時間以上は眠る。寝ることが好きなのであろう。この生活は、仕事が多忙なときにはなかなか維持するのが大変だ。帰宅して、ビールを飲みながらちょっと音楽を聴いてすぐ床につくということになる。残業が多い週は、これだけの睡眠時間を取ることができないから、その週の休日は、少なく見積もっても1日あたり13~14時間眠っている。もし、この多くの睡眠時間を削って、読書やキャリア・アップの勉強にでもあてれば、我がジンセイも少しはマシになったかも知れないが、体質的にやめられない。どうひいきめにみても睡眠時間は無駄なように思えるのだが、こればかりは、数十年変えられないのだ。なんとかならないものか。
さて、シューベルトのソナタ。
シューベルトのピアノ・ソナタには、ときに長大なものがあるが、これはその最たるもの。この演奏では全曲で50分をかけていて、ことに第1楽章については23分かかっている。第1主題が最初から最後まで何度も何度も繰り返し奏される。この主題が何度目かに現れたときに落涙しそうになっちゃった。
前にも書いたのだけど、このような果てしのない曲を、シューベルトが何故書いたかといえば、金のためでもなく委嘱のためでもなく、ただ「自分が書きたかったから」作曲したのである。
音楽の異様に朴訥な美しさと、シューベルトのけなげな思いがずっしりと胸にのしかかる。この長大さは理不尽とも言える。彼は、いったい何を思ってこのような、終わるとも知れない静かで時に狂ったように激しい音楽を書いたのか。それは今となってははっきりとはわからないけれど、こういう音楽を作ったヒトが昔ウイーンにたまたま存在していたわけだ。それが切ない。
自分の努力不足を棚に上げておくと、わがジンセイには碌なことがないけれど、こういう音楽を聴いているひとときに関しては、ジンセイは悪くないなあと感じてしまうのである。
アファナシェフのピアノは、じっくりとした遅いテンポを基調としている。ピアノの音そのものは突出して美しいものではないが、大きく広がりのある音響世界を提示している。ソリストの思い入れを強く感じる演奏である。この演奏が、相対的によいものかどうかは、もう少し他の演奏を聴きこんでみないと何とも言えないが、少なくとも私はこの演奏によって、小さくない感銘を受けた。★音楽blogランキング!★にほんブログ村 クラシックブログ無料メルマガ『究極の娯楽 -古典音楽の毒と薬-』 読者登録フォーム
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