エルガー「エニグマ」 バターワース「青柳の堤」、他 プレヴィン指揮ロンドン交響楽団中島義道の「どうせ死んでしまうのに、なぜいま死んではいけないのか?」を読む。
人生は生きるに値するか?
カミュは「異邦人」で「ノン」と答えた。「二十歳のエチュード」の原口統三は自殺した。
ヒトは必ず死ぬものだから、人生は生きるに値しないとはいうものの、自分で自分の命を断つことは正しいのか?という問いに、著者は躊躇する。それは「周囲のものを悲しませるから」と、「直感的に怖いから」とのふたつの理由から。
この理由はとても大きい。学校や仕事がイヤだとか、あるいは人生は生きるに値しないと観念的に感じ取ったとかいうことがあっても、最後の一歩はなかなか越えられない。だから仕方なく生きている、ということを完全に否定することはときに難しい。
といいつつ、「死」を無視して世間を生きてみると、あれもこれもと欲張ってばかりいるのだ。
なぜか、長いこと課題になっている「エニグマ変奏曲」。
今まで、LPやCDでは、マリナーとコンセルトヘボウやショルティとロンドン・フィルの録音を聴き、実演ではショルティとロンドン・フィルの演奏を聴いたことがあるが、なんというか、どれもいまひとつはっきりしないのだ。親しみやすいメロディーがありながら、いまひとつ面白くない。
「エニグマ」は名曲なのか?
管弦楽のための変奏曲としては、ブラームスにも比肩するくらいよくできた曲であると思う。
曲のつながりに唐突感を感じるものの、楽想はとても豊かだ。それでも、なぜか私の腑に落ちないところがあるのはどのあたりなのか、これを説明するのは難しい。
その印象は、プレヴィンとロンドン饗の黄金コンビをもってしても、払拭できなかった。
この演奏、技術的に優れているし、柔らかな録音の感じもいいし、ほんわかとした暖かな佇まいからじんわりと滲み出る霊感にも不足するところのない、優れた演奏だ。
それにも関わらず、やはりもうひとつ音楽にのめりこむことができないのは、相性の問題なのだろう。
このCDの中では、バターワースの「青柳の堤」を気に入っている。「エニグマ」よりずっと肌に合う。
黄金色に輝く初秋の夕暮れの、淡い夢のような世界を、プレヴィンが丁寧に織り上げている。
1978年11月、ロンドン、アビーロード第1スタジオでの録音
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