クラウス・テンシュテット指揮 ベルリン・フィルトーマス・マン (平野卿子訳)の「トーニオ・クレーガー」を読む。河出書房新社から出た、これは新訳である。新訳といったって、旧訳(高橋義孝訳のほう・新潮文庫)の内容を覚えているわけではないし、もう手元にもないので、相変わらず違いのわからぬ男ではある。読み始めると、細部は案の定覚えていないが、なんだか照れくさい感覚がうっすらと蘇るようだった。
ひとりの少年との邂逅と美しい少女への恋慕、そして実家の没落を経て十数年。作家として独り立ちした青年トーニオが、再び故郷を訪れる。滞在するホテルで、ふたりに遠目に再開した彼が、激しい感情にとらわれるところ、なんだか懐かしい。
「世の中には、平凡でいることの幸福に対する憧れ以上に魅惑的で価値ある憧れはないと思ってしまうほど、深刻で根深く、宿命的な芸術家気質というものがあるのだ。」
オッサンになった今、「普通の人」であるところの重みが、最初に読んだ高校時代に比べたら、少しはわかったような気がした。
テンシュテットの「グレイト」は、こころもち速めのテンポをとった流れのよい演奏。全体を通して実にまっとうで、つっこみどころが少ない。ベルリン・フィルは普通にうまいし、恣意的な動きも見当たらない。テンシュテットとしては、おとなしい部類に属するものじゃないかと思う。並みの指揮者であれば、いきり立ったパワーの噴出を止められないカラヤン時代のベルリン・フィルを、ぐっと抑え込んでいるところがスゴイといえばスゴイのかもしれない。
これといったインパクトは薄いものの、何度聴いても飽きない演奏である。
1983年4月、ベルリン、フィルハーモニーでの録音。
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