筒井一貴のピアノと撮影による、「音楽と写真でつづるチェコ冬紀行」に行く(5月21日、錦糸町C de Cにて)。
フィビヒ「気分、印象そして追憶」より
op.41-44
op.41-54
op.47-95
op.47-96
op.47-138
op.57-24
スメタナ「ビルゼンの思い出」
スーク「愛の歌」
ドヴォルザーク「ユーモレスク」より
op.101-1
op.101-7
ヤナーチェク「草かげの小径にて」第1集
「われらの夕べ」
「散りゆく木の葉」
「一緒においで」
「フリーデクの聖母マリア」
「彼女らは燕のように喋りたてた」
「言葉もなく」
「おやすみ」
「こんなにひどく怯えて」
「涙ながらに」
「ふくろうは飛び去らなかった」
フィビヒのこの曲集は愛人に捧げられたもので、376曲あるという。そのなかから抜粋された曲は、グリーグの「抒情小品集」のような、可愛らしく淡い情緒を湛えたもの。
どれも甘くとっつきやすいが、このように少しずつ味わうものだろう。
スメタナは活発で躍動感のある音楽。
スークはこの日の演目中、最長の曲だろう。それでも6~7分。起伏の大きい劇的なもので、聴きごたえがあった。
休憩を挟んで、チェコ国歌。
そしてドヴォルザーク。この名字は彼自身、13歳頃までうまく発音できなかったらしい。ドヴォルザーク。ドヴォジャーク。
op101-7は、この日の演目で唯一知っていた曲。
ヤナーチェクは、ソナタ「1905年10月1日街頭にて」や「霧の中で」を聴いたことがあり、いささか晦渋なイメージを持っていた。
この曲集は、とても親しみやすい。曲を追うごとに、彫りは深まっていく。なかでも「フリーデクの聖母マリア」と「おやすみ」は、情感が豊かでロマンティック。
筒井のピアノ、youtubeでは何度か視聴したことはあるが、実演は初めて。
姿勢がいい。床と垂直にピンと伸びた背筋はほとんど動かない。それはホロヴィッツやミケランジェリの姿勢とも違っていて、もっとピアノに近い。物理的にくっついているし、楽器に対する親密さを感じる。そのあたりは、元来がチェンバロが専門の故か。
ヤマハの年代もののアップライトは、鄙びたいい響きを聴かせており、彼の端正なスタイルと合っていたように思う。
チェコの写真は、曲の合間にプロジェクターを用いて映された。
地図の経路を、2週間近くをかけて、横断している。
普通の家並みは、どれもが淡い、緑やピンクや黄色で彩られていて周囲と馴染んでいて美しい。
軌間が760㎜という列車。いまでも一部で走っていると云う。ドヴォルザークは、このような列車に熱中していたのだ。
雪を被った灌木。村の人びとが参拝する寺院。石畳の路地。そして見える緑の看板は、ビール屋さん。
ボヘミア地方はビール、モラヴィアはワインが美味しいのだと云う。
肌理細やかな泡がふっくらとしたビールの画像に、ときめかないわけにいかなかった。
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