戸田智弘の「働く理由」を読む。
「サッカーの悩みって、遊びに行って発散できるものじゃないんですよ。サッカーの悩みは、サッカーでしか解決できないんです。悩んだら練習で解消するしかないんですよ。それは練習量の多さとかじゃなくて、練習の中でキッカケを探すって感じですね。」
なんのために働くのか。働くとはどういうことなのか。それを古今東西の著名人が遺した言葉を引用しながら、考察している。
著者は、食うために仕事をするのは労働だが、やりがいを求めるための仕事は「働く」ということ、というようなことを云っているが、これはただの言葉遊びだろう。
また、「(現代に生きる)私たちはよほどのことがない限り、食事や服や住まいに困るほど貧窮することはない」から、別途働く目的を見つける必要があると云う。
そんなわけはない。どうやって生活するの? ベーシック・インカムが導入されれば、話は別だが。
働く理由は、まずは食うため。これに尽きると思う。
成功とか自己実現(って何なのか未だに理解できないのだが)だとかは、付加価値である。
上は、小野伸二選手の言葉の孫引き。
これはサッカーだけじゃない。会社の仕事の悩みも、会社の仕事で解決する他に術はない。
アマデウス四重奏団の演奏で、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲4番を聴く
(1961年9月、ハノーファー、ベートーヴェン・ザールでの録音)。
アマデウス四重奏団は、初めて名前を聞いた四重奏団。中学の頃に、来日公演をテレビで放映していて、たまたま観た。モーツァルトかなにかをやっていて、とても楽しそうに演奏していたと記憶する。
その後、弦楽四重奏というジャンルをボチボチ聴き始めた。ウイーン・アルバン・ベルクやエマーソンなどといった、精緻な合奏力を誇るスーパーな団体が登場しはじめていて、そのいっぽうアマデウス、あるいはスメタナといった歴史のある四重奏団はいささか影が薄くなっていたように思われた。
そんな潮流に呑みこまれ、このクァルテットをしばらくの期間、聴いてこなかった。このベートーヴェン全集を購入するまでは。
先日もここで書いたが、スーパーな団体に比べると、アンサンブルが緩い。でも、それを補って余りある情緒を確かに感じる。
この4番は、初期の作品18に含まれる作品で、6曲あるうちのなかでは最も厳しく、かつ深い芳香に満ちた曲だと思う。
アマデウスは、たっぷりとした抑揚をつけて、細かな表情を丁寧に描き分けている。強靭なスピード感をもち、有無を言わさぬ推進力がある。そしてこの曲においては、アンサンブルの揺るぎは感じない。
濃い味わいのある演奏である。
ノーバート・ブレイニン(第1vn)
ジークムント・ニッセル(第2vn)
ピーター・シドロフ(va)
マーティン・ロヴェット(vc)
春。
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