柳田國男の「海上の道」を読む。
これは筆者が、日本の南端にココ椰子の実が流れ着くという事象をヒントに、日本人はどこから来たのかをああでもないこうでもないと推理する随想。
結論に至るまでの寄り道がまたいい。
椰子は昔はヤシホ、またはヤシゥと言った。江戸の役人が江古田の村あたりを歩いて、休み茶屋に腰をかけていると、その家の老婆が彼が抱えていたヤシホの杯に目を留め、その名を尋ねてますます面白がり、やがて酒を買いに行き「私にもその杯でいただかせてください」と言った話を引用して、こういった快活な女性がまだあのあたりにいたのだなあ、などと感慨に耽ったりしている。
さて柳田の結論はこうである。中国やら朝鮮やら南方から、いったいなぜ命がけでこの日本という島に彼らはやってきたのか。それは宝貝の魅力のせいだと。中国は秦の始皇帝時代に銅を通貨に用いるようになるまでは宝貝が至宝であった。この貝の産地は限られており、この極東では日本近辺のサンゴ礁上になる。中国や朝鮮はむろん、遠くはインドあたりからもこれを求めに来たのではないかとの仮説を立てている。さらに限定すれば、沖縄が属する西南諸島、「特に宮古島が注意すべき一つの中心地なることを感じ始めたのである」。
この類は、教科書に載らない歴史だが、平安の都や戦国時代に思いを馳せるのとは、また異なった感興があるようだ。
バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィル、スコラ・カントラムの演奏で、ラヴェルの「ダフニスとクロエ」全曲を聴く。
この時期のCBS(コロンビア)録音にしては、うっすらと靄がかかっているみたい。それが幻想的世界に色を添えている。
この曲は随所(海賊のシーン)にあらわれる暴力的なリズムと大音響が音楽全体のひとつの鍵になっていると思う。それは太くてたくましい生命力の強さであり、破壊力でもあるように感じさせる。原作の時代背景から、縄文時代の土器のようなダイナミックさと破壊力に似ている、といったら穿ちすぎかな。
バーンスタインの指揮は才気煥発、とても元気がいい。テンポの変化は自由自在、緻密さよりも勢いの良さで聴かせる。ソリストはクラリネット、トランペットを始めとして皆うまい。
1961年3月、ニューヨーク、マンハッタン・センターでの録音
コテージにて。
重版できました。
「ぶらあぼ」4月号に掲載されました!PR