
オイゲン・ヘリゲル(柴田 治三郎訳)の「日本の弓術」を読む。
誰かが、日本の文化を知るには岩波文庫の「日本の弓術」を読めばいい、というようなことを言っていたので、読んでみた次第。
ヘリゲルは1884年生まれ。なぜ弓道を目指したかというと、夫人が華道をやっており、その精神に通じるからだと解説にある。
本文を読む限り、いつからいつまで滞在したか、修行を積んだかの記述はないが、解説によれば戦前の昭和らしい。
ここには、西洋の合理的な考えをもった青年が、非合理的で直感的な弓道という日本の武術について語った本である。
弓を持ち始めたときに、著者はこう語る。
「日本人は、自分の語る事をヨーロッパ人としてはすべて言葉を手がかりに理解するほか道がないのだということに、少しも気がつかない。ところが、日本人にとっては、言葉はただ意味に至る道を示すだけで、意味そのものは、いわば行間にひそんでいて、一度ではっきり理解されるようには決して語られも考えられもせず、結局はただ経験したことのある人間によって経験されうるだけである」。
技術論ではないのである。
先日、ロンドン・オリンピックで銅メダルに輝いた女性選手が、中学生にアーチェリーを教えている番組をみた。それは素人目にも、的確な技術論であった。中学生は、先生の指示を守って、みるみるうちに上達した。テレビだから編集はあるであろうものの、彼女の上達が端的にわかった。
弓道とアーチェリーとは、どう違うのか。
誰か教えてください。
インバルの指揮でマーラーの交響曲7番「夜の歌」を聴く。
この指揮者の「夜の歌」の演奏は、フランクフルト放送響とのものが、かなり完成されたものなので、ここで改めて録音する意義は、チェコ・フィルの魅力をそれに付加しようとしたのだと思っていた。
冒頭のテノール・ホルンにまず期待したが、さほどではない。
チェコ・フィルであればもっとできると予想したが、実に凡庸。ホルンだかトロンボーンだかもよくわからない←聴き手のスキルの問題。
ただこの演奏、終楽章はいい。とても、いい。
もともとティンパニが大活躍する曲であるが、このティンパニはとてもいいのである。重厚にして繊細。コクがあって粒だっている。
そして、ホルン。チェコ・フィルも最近はグローバル化して、どの楽器も、チェコ・フィルでなければ、という強さがなくなってしまったが。ここでもホルンは雄弁で、輝かしい。これはインバルの指示によるものだろう。
よってこの演奏は、終楽章に焦点をあてたもの。
その意味では、なかなか意義深いものだと思う。
ただ、フランクフルトとの演奏は、いまだに色褪せるものではない。
2011年2月、プラハ、ルドルフィヌム、ドヴォルザーク。ホールでの録音。

夕暮れ。