鎌田實の「○に近い△を生きる」を読む。
「今までの慣例を壊していくと必ず、後ろ指をさされたり、批判されたりする。どんないいことでも必ず一割ぐらいは水をかけてくる人達がいる。後ろ指をさされても気にしない。それが人間というものだと、初めから割り切っている。ぼく達の国は民主主義の国だから、いいのだ。どんなにいいことをしても、批判をする人がいていい。だが、その口を封じてはいけないのだ。」
勝ちが○で負けは×。それはある種のレッテル貼りだ。実際のこの世の中は、勝ちのような負けがあったり、負けのような勝ちみたいなことばかり。現実は正解を超えている。
なので著者は言う。
「○と×の間にある無数の△=「別解」に、限りない自由や魅力を感じる。」
ピアニストの舘野泉は脳卒中で片腕が動かなくなった。これで×をつける見かたもあるかもしれない。けれど彼は、左手一本でピアノを弾いたら、いままで以上に音楽が見えるようになったという。
ピアニストは普通、両腕で勝負するが、彼は左手のみで勝負、という「別解」をみつけた。
かっこいい。
マーツァル指揮チェコ・フィルの演奏で、マーラーの交響曲4番を聴く。
最初の第1主題からヴァイオリンがポルタメントをきかせていて嬉しくなる。メンゲルベルクのような懐古的趣味は今では貴重、たまにはこういうのもアリだと思いつつ聴き進むと、チェロやホルンの響きなどはキリッと研ぎ澄まされていて、たんに甘い演奏ではないことがわかる。
弦楽器も木管楽器も、抑揚がしっかりついていて、呼吸が深く、よくうねっている。細かなアゴーギクもきかせており、なかなか動きが激しい演奏でもある。前に聴いた「巨人」はわりとオーソドックスなアプローチだったので、この展開は予想していなかった。
オーケストラは柔らかすぎず硬すぎず、豊穣な音を奏で雄弁。ソロ・ヴァイオリンは肌理が細かく、丁寧。
ミカエラ・カウネのソプラノは色香たっぷり。やや恰幅のいい天使。
可憐さよりも深くしっとりした声で勝負。
2006年10月、プラハ、「芸術家の家」ドヴォルザーク・ホールでの録音。
春。
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