ヘミングウェイ(高見浩訳)の「海の変化」を読む。
カフェで話し合う女と男。別れ話のようだ。男は「あの女、殺してやる」と息巻いている。女に女を取られたのだろうか。
カフェのマスターも、カウンターのふたりの客も静観している。
やがて、なんのことはないような会話で女と男は仲直りしたような雰囲気となり、女は店を出る。
残った男は、おもむろに、あたりまえのようにカウンターの客に混じわう。
ほんのわずかな心の襞の按配が、ふたりを和解に導いたのだろうか。
そんな、海の機嫌のような、意味のない話である。意味はなくともいいのである。
アシュケナージのピアノで、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ28番を聴く。
彼はこの曲を3回録音している。これは3度目のもの。アシュケナージはソロ曲を何度も録音するタイプのピアニストではないから、この曲を気に入っているのかもしれない。
録音年の1991年といえば、もう彼は指揮者の道を本格的に歩んでいる頃。セント・チャールズ・ホールというロケーションを知らないが、残響をかなり多く採っている。実際にコンサート・ホールで聴いているような感興がある。
相変わらずの美音である。彼は、デビュー当初からこの音を武器にして世界を渡り歩いた。その音はかなりキャリアを積んだ録音当時でも変わらない。人当たりがよく、とても親密だ。相手がベートーヴェン、それも晩年であろうと、彼は気張らない。肩の力を抜いて、大いにリラックスして弾いているよう。
3楽章の序奏は、映画「ニュー・シネマ・パラダイス」を思いおこさせる。もちろん、かの映画がベートーヴェンを引用したのだ。
その後のアレグロは一気呵成。アシュケナージのピアノはすみずみまで実に雄弁。ややメタリックな音色が縦横に飛翔する。快哉を叫びたくなる!
1991年7月、ルツェルン、メッゲン、セント・チャールズ・ホールでの録音
コテージにて。
重版できました。
「ぶらあぼ」4月号に掲載されました!PR