スビャトスラフ・リヒテル/ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ第17番『テンペスト』」リヒテルは、最も録音に恵まれない演奏家のひとりじゃないかと思う。彼に比肩するのはムラヴィンスキーだ。
両者に共通するのは、旧ソ連で活動していたということで、特にステレオ初期以前のものは、技術的に劣っていて聴きばえがしないものも多いと思う。
で、彼らが70年代以降に録音したものは良いかといえば、残念ながら水準以下のものが多数を占めているようだ。
このことについて、ちょっと妄想してみた。
例えば、カラヤンとショルティには、優秀な録音が多い。これは、DGとデッカの技術が優れているということと、録音の数そのものが多いということがあるのだが、それ以上に重要なポイントなのは、彼らが録音という行為に対して、協力的だったからである。録音の現場というものは、いろいろな要素が作用されるものである(なんて、実際に見たことはないのだが)。マイクのセッティングが煩わしいこともあるし、録り直しだって面倒な作業だ。でも、彼らはそういった煩雑な仕事を我慢強く受け入れたはずなのである。録音技師たちの詳細な指示を、彼らが甘んじて飲み込んだ局面は少なくないと思われる。
ピアノ1台でも、レコードの録音は難しい、オーケストラならなおのこと、微妙にして繊細な作業になるはずで、そこには演奏者の演奏以外の努力も少なからず介在しているはずなのである。
それを鑑みると、リヒテルやムラヴィンスキーは、そういった音楽以外の雑事を拒否した結果、優秀な録音に出会えなかった、のではないか。
演奏会だけが音楽ではないということは40年前にグールドが提示しているのだが、録音の不自然さを嫌がる感覚は、素人の私でもわからないでもない。彼らは素朴で偉大な音楽家だったことを、時代にしては音の悪いCDを聴いて、涙ながらに確認するしかないのである。
リヒテルの「テンペスト」は、この曲のベスト誉れ高い演奏である。この曲を作った頃のベートーヴェンは意気盛んで、生命力に溢れすぎたところが聴いている身にはつらくなることもある。こういう曲をリヒテルが弾くと、これがまたすごいことになる。世界中のちゃぶ台をひっくり返して回るような迫力に満ちている(この表現は某作家のパクリ)。
…ちょっと、大袈裟かも知れない。
この曲は年代的には初期の後半にあたると思うのだが、中期の血気盛んなベートーヴェンの音楽の核心を、そろそろつき始めている音楽となっているように思う。
録音は1961年のもので、優秀とは言いがたく、おそらくリヒテルの生の魅力の数分の一しか伝えていないと思うのだが、それでも緊張感に満ちたピアノは迫力充分である。
酔っ払った体で聴くと、血が騒いで酔いが回る。★音楽blogランキング!★にほんブログ村 クラシックブログ無料メルマガ『究極の娯楽 -古典音楽の毒と薬-』 読者登録フォーム
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