ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲 グリュミオー(Vn) ベイヌム指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団ひろさちやの「奴隷の時間自由な時間」を読む。
著者は中学のときに英語の授業で「今日できることは明日に延ばすな」という格言を教わったとき、それに反発して「明日にできることを今日するな」という反対の格言を作ったのだが、実はトルコにもっとすごい格言があって参ったという話が紹介されている。そのトルコの格言とは「明日できることは今日やるな!他人ができる仕事を自分がやるな」というもの。
「他人ができる仕事」について、著者は最後の自分の後始末である葬儀のことであると解釈している。これは確かに遺族もしくは他人の仕事であって、けっして自分ではできないものだ。
でも、この解釈はまっとうすぎてちょっと面白くない。どうせならストレートに、他人ができる仕事ならば他人にやらせて自分はそのへんで寝転がっていよう、くらいに読み取りたい。
寝転ぶまで達観していないが、私はけっこうこれを実践している。人がやってくれるならてきとうにサボり、自分がやらなきゃいけないときだけはしぶしぶ立ち上がる、といった具合。
働きアリの残り8割を実践しているのだ。ときどき、周囲からの風当たりを感じることがなくもないが、それで経済はまわっちゃうのだから仕方がない。
グリュミオーとベイヌムのベートーヴェン、冒頭のティンパニが素晴らしい。重量感があり適度に張りがあってなにやら高貴な香りがほんのりと漂っている。いままで聴いたなかでもトップクラスの冒頭かも。
出だしのたった4発が以降の展開を決めるといっても過言ではない場面なので、ポイントは高い。
長いオーケストラの序奏は、中庸なテンポを基調にしており呼吸が深くメリハリをはっきりつけている。伸びやかな弦とともに要所でピリリと木管を利かせているあたり、小技が冴える。
グリュミオーのヴァイオリンは、きらびやかな高音の艶はいつも通り、それに加えて切り込みが鋭い。ときどき弦がきしむような音が聴こえてくる。余裕のある弾きぶりというよりは、激しく燃える感情をぐっと抑えているものの、抑えきれずに漏れてしまっているような昂ぶりがある。
1楽章のカデンツァはクライスラーのもので、冒頭と並んでこの演奏の白眉といえる。基本的には美音でありつつもそれに甘んじることなく激しく切り込んでいく。松脂が眼前に飛び散るのが見えるような弾きかたであり、正気を逸脱したものを感じる。
コンセルトヘボウの弦のピチカートが素敵な2楽章を経て、終楽章は一気呵成の勢いで聴かせる。オーケストラもヴァイオリンも、速めのテンポでぐいぐい押していく。弦と木管と金管と、各パートがはっきりとききわけられる指揮者の采配はさすが。カデンツァはクライスラーと思ったが、後半は聴きなれない音楽であった。グリュミオーが手を加えたものか?わからない。
1957年6月、アムステルダム・コンセルトヘボウ大ホールでの録音。
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