橋本治の「思考論理学」を読む。
「要するに、僕にとってみれば、ハゲるっていうことは苦悩することなんですよ。いまの時代のこの期に及んでね、苦悩しない男っていうのは人間のカスだと私は決めましたもんで、だからハゲなかったらこれはウソだと、ハゲるくらいにもの考えなかったらバカだっていう前提に立っちゃったわけね。私は強引ですから。」
題名は硬いが、1992年にテレビ東京で放送された「夜中の学校2」を書籍化したもので、内容は平易。
とくに第一講の「ハゲという題材について」は笑える。
著者は当時、40歳半ばくらい。そろそろ頭のてっぺんが薄くなってきたということをカムアウトし、それを無理やりに正当化する。
思うに、堂々としたハゲはカッコいい。指揮者のショルティやフリッチャイ、オーマンディ(連想するのはなぜかハンガリー系が多い)なんかは若い頃からハゲていたし、ピアノのリヒテルもそう。俳優では、ジーン・ハックマン、そしてショーン・コネリーはむしろハゲてから魅力を増した。
とはいえ、まだ自分には早い、と言わざるを得ない。
当分の間は、カスでいいのである。
ロジェストヴェンスキー指揮モスクワ放送交響楽団の演奏で、チャイコフスキーの「白鳥の湖」全曲を聴く(1969年、モスクワでの録音)。
ここ最近、チャイコフスキーのバレエ音楽を断続的に聴いている。組曲やハイライトであれば選択肢が多いのだが、全曲となると限られる。
最近入手したものは、ボニングとランチベリー、ティルソン・トーマスとこれであり、最初のふたつはだいたい聴いた。いずれも、英国ロイヤル・バレエ系の指揮者であり、オーケストラもイギリスであるせいか、とても洗練されている。角がとれてまろやかで、芳しい香りに満たされている。
プレヴィンはバレエの指揮者をやったのかどうかわからないが、やはりロンドンのオーケストラで全曲をやっており、やはり都会的に垢ぬけたものである。
それらに比べると、ロジェストヴェンスキー盤は、野趣に溢れた骨太の演奏だ。甘いところはコッテリと、激しい場面はキッチリ爆発。豪快でありつつ、オーケストラの技量はめっぽう高いので、粗くない。ボニングらの演奏では聴こえなかった音が聴こえるところは愉快。
遺された映像から鑑みるに、彼はボリショイで実際に舞台の指揮をしている。だからこの演奏は正真正銘の本場物といえるが、おそらくバレエとは別物のテンポ設定になっていると思われる。もちろん、それはそれで一興である。
ヴァイオリン・ソロはミハイル・チェルニャコフスキー。マイクが近いせいか、やけに大きく聴こえる。そして、音が生々しい。松脂が眼前に飛んでくるかのよう。臨場感たっぷりである。
春。
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