「白鳥の湖」 アナトール・フィストゥラーリ指揮コンセルトヘボウ管弦楽団丸谷才一、鹿島茂、三浦雅士の「文学全集を立ちあげる」から「日本文学全集篇」を読む。
「世界篇」で繰り広げられた独断と偏見による取捨選択はここでも絶好調。鹿島と三浦の強引な押しの合間に開陳される丸谷のウンチクが相変わらず面白い。
そのなかからひとつ。正岡子規と、その弟子である高浜虚子のエピソード。
病床にある子規が虚子に、おまえはもっと勉強しろと説教をたれる。そこで虚子はこう答える。「アシは勉強というものはしないことにしている」。
この話で一旦もちあげておいて、でもやっぱり虚子は子規のスポークスマンだとか人柄が悪いとかボロクソに言う3人。近所のヒトの陰口で盛り上がる井戸端会議のオバちゃんと同じである。
しかし虚子のこのセリフ、いいなあ。
昔から名盤の誉れ高いフィストラーリのチャイコフスキーだが、聴いたのはこれが初めて。憧れていた演奏のひとつ。
全体的にテンポは比較的速めにサクサクと進む。そして、ここぞという場面での速度や強弱の変化をみせる。常套句というべき技だが、すんなりと自然にはまっている。空気を読み切った名人芸をみるようで楽しい。
CD1枚に収まる選曲としては、6曲目に配置されたシーン(アレグロ・モデラート)を入れているところが、少々風変わりかもしれない。この曲、落ち着きなくとりとめのない、わさわさと動きの大きいところが魅力。いささか荒っぽい情感のあらわれが、いかにもチャイコフスキーのマイナー曲といった感じ。
個人技はこのCDを通して聴きものである。毅然としたヴァイオリンの響きに酔っていたら、チェロの鼻にかかったような濃厚に甘い音色がガツンと。シンバルは少々味が薄いかな。
フィストラーリという指揮者、メリハリがはっきりとついているところがいい。クラリネットもオーボエもファゴットもトランペットも、じゅうぶんに密度が濃い。出し惜しみせず、ガンガン鳴り渡らさせる。なんとも痛快だ。終曲のティンパニの炸裂は忘れ難いくらいのインパクト。
この抜粋版、全部で46分強。短かすぎる。まったくもって、もの足りない。
1961年2月、アムステルダム・コンセルトヘボウでの録音。
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日本文学全集篇の20世紀以降の項目のなかで、吉田秀和が1/2巻で収録されています。音楽批評もいいけれど文明批評が優れているとのことです。また、彼が語る音楽でいえば断然シューベルトと言っています。モーツァルトじゃないのですよ。
フィストゥラーリの演奏、有名なものですがエロクアンスのシリーズのなかに見つけて聴いてみました。
テンポも響きもよいものです。このコンビで全曲を聴きたいと思わずにいられません。ないものねだりですが^^