ミュンシュ指揮ボストン交響楽団パオロ・マッツァリーノの「つっこみ力」を読む。
統計データに対する「つっこみ」が興味深い。失業率と自殺率は関連しているというのは社会学の常識とのことだが、実際に各国のデータをみるとそうでもないことが一目でわかるという仕組み。
ふたつの要素を年別の折れ線グラフにすると確かに日本、それからフランスは失業率と自殺がほぼ比例しているのだが、アメリカとオーストラリアをみると、てんでバラバラなのである。
なお国別では、ハンガリーの自殺率が非常に高いらしい。過去30年平均で、10万人に38人になるという。多いのか少ないのかよくわからないが。それに対して、「世界価値観調査」による自殺の許容度アンケートでは、自殺を「まったく間違っている」につけたハンガリー人は78パーセントであり、日本や自殺率の低いイタリアを大きく上回っている結果になっている。
デュルケムは「自殺論」で「人間同士の絆が弱い社会ほど自殺が多い」としているらしいが、人間の絆は数値化できないよな。
著者はなんちゃって外国人のようだ。
1959年といえば、ミュンシュとボストン饗の黄金期のもの。ミュンシュが取り上げるのはフランスものばかりではない。あたりまえである。
とはいえ、シューマンとは合わないのじゃないかとぼんやり思っていた。病的なまでに神経質な青白青年と爆裂オヤジの組み合わせである。どうもピンとこないが、せっかく買ったので聴いてみた。
あいかわらず、抑揚が大きく細部にあまり拘泥しない指揮ぶりであるから、オケのアンサンブルもいささか荒っぽい箇所がある。
そういう荒波のなかで、ふとあらわれる豊かでみずみずしい情感がじつに効果的だ。
たとえば、一楽章のトライアングルの音など荒っぽいことこのうえないのだが、二楽章においての左右の弦の受け渡しのキャッチボールのやわらかなところを耳にすると、やられてしまう。硬軟取り混ぜた呼吸の見事さ。あたかも、気は荒いが根の穏やかな職人を思わせる技といった按配。
そういった勢い重視の指揮についてゆくボストンの技量は高い。ザクザクとした金管のうなりと、弦のきしみが、あらかじめ楽譜に書かれていたのではないかと思えるくらいに、しかるべき場所に収まっている。青白の攻撃性を、爆裂オヤジがうまく煽って引き出している。
シューマンの「春」にこんないい演奏があったのだな。
1959年、ボストンでの録音。
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