ワーグナー「ジークフリート牧歌」 マゼール指揮 ベルリン・フィル 荒井玲子の「UMLは手段」を読む。
UMLの使い方の概略は前半に書かれており、後半はシステム・アーキテクトの定義に割かれている。
この後半に面白い比喩がある。
SEが楽団員だとすれば、システム・アークテキトはコンサート・マスターであり、指揮者はプロジェクト・マネージャであるという。
私の経験上、ITの現場だと、PG→SE→プロジェクト・リーダー→プロジェクト・マネージャというようにキャリア・アップさせていくといった育成法が取られていることが多い。ところが、ここではそれぞれの役割は階層ではないといっている。
確かに、それは一理あるような気がする。それぞれに適した性格があり能力があるわけだから、SEならその立場として老齢に至るまで熟練のSEとして活躍する、そんなことはあってもいいのじゃないか。
実際に今キャリア・チェンジの岐路に立っている私には、参考になる意見なのであった。
マゼールの「ジークフリート牧歌」を聴く。
この曲で思い出すのは、ヴィスコンティ監督の「ルートヴィヒ神々の黄昏」。
この中の1シーンに、ワーグナーがコジマの寝ているときに、楽団を自宅に呼び寄せて「ジークフリート牧歌」を演奏させるというくだりがある。大きな家といっても、楽団は十数名の規模で、楽器を鳴らしながら階段を上っていくとコジマが起き上がって感激するというものだった。
その印象が強いため、この曲には小編成の規模が向いているというイメージが長らく私にはあった。
でも実際に録音されたものを見てみると、室内楽的なスタイルの演奏はむしろ少ないようだ。
このマゼール盤も、けっこう大きな編成でやられているように聴こえる。
少なくとも弦楽器群は、普通のコンサートスタイル的な規模で演奏されていると思われる。
この時期のマゼールは(とくにベルリン・フィルを振ったものは)オーソドックスなスタイルによる演奏が多いが、これも例外ではない。
しみじみと、ゆったりと、この音楽の性質をうまく引き出している。
ベルリン・フィルの厚い弦楽器が心地よい。
イメージは少し異なるものの、やはり「ルートヴィヒ」に思いを馳せてしまうのである。
1999年9月、ベルリン、イエス・キリスト教会での録音。
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