ベルク「ヴォツェック」 ドラティ指揮ロンドン交響楽団日高敏隆の「春の数えかた」を読む。
まず題名がいい。ほのぼのとした詩情がある。内容もおっとりしていていいのだ。日々の会社生活にまみれて忘れかけている自然の不思議を、ゆっくりしみじみ語ってくれる本。
動物行動学者の著者は、若い頃にひとつの疑問をもつ。
「花ざかりの花たちは、ほとんどみな背丈が同じである。いいかえれば、みんな揃った高さに花を咲かせているのだ」。
たしかにそうだ。この時期になるとウチの近所の菜の花畑にはきれいな黄色の花が咲き乱れているが、どの花もだいたい同じ高さである。いわれてみれば不思議ではある。
この問題について当時は研究されていなかったので、著者は自力で仮説をたてる。
ミツバチのためではないだろうか、と。
「同じ種の植物の花がみんな同じ高さに咲いていれば、蜜を集めるハチたちも助かるに違いない。ハチたちは同じ平面を飛んでまわれば、次々に花を見つけることができる」。
その後、著者は別の研究のため多忙になり、十数年のときが過ぎてゆく。その間、植物学や生態学は大きく変わっていった。ある日、思い出したように研究者にこの仮説をぶつけてみる。すると、
「そうにきまってるじゃないですか。ほかの花よりも低いところに咲いている花の受粉率がずっと低いことは、もうよくわかっていますよ」。
不思議だしあたりまえのことかもしれないが、植物はそういうことを考えているのだ。脳はないのに。人間の世界では、体で覚える、なんてことがあるけど、植物はまさにそれ一本で生きている。
ドラティのベルクは明快で端正。録音された年代のわりには、どっしり構えているというか、落ち着き払った気負いのない姿勢。
あたかも200年まえに作られた曲を扱うように手慣れている。ドラティは楽譜のみを拠り所にして音楽を作っているのではないかな。
作曲者のキャラクターや時代背景などはあまり重要視しない。楽譜のみを信じるのがオレ流。ホントか。
ロンドン響は、薄く脂をしいたようにテラテラと光る色合い。ベルクのねっとりとした退廃的世界をことさら強調していないが、悲劇がなにげなくじわじわと押し寄せる。
ソプラノはヘルガ・ピラルティク。適度に色気がのっていてマリーにふさわしい。全曲ならばいいのに。
原盤はマーキュリー。録音はいまも色褪せない。
1962年の録音。
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