ブルックナー 交響曲全集 パーテルノストロ指揮ヴュルッテンベルク・フィル「夢枕獏の奇想家列伝」を読む。
玄奘三蔵、空海、安倍晴明といった実在の人物たちの生きた世界に、伝奇作家が思いを馳せる。
どの章も書き手独自の思い入れの入った解釈が展開されて面白い。そのなかで特に気になったのは、16世紀のトルコの建築家シナンについて書かれたこの記述。
「私はそこで改めて、建築はすべての芸術の基礎であると思いました」。
「というのは、私が自分で釣り小屋を建てたときに初めてわかったことですが、そこに飾るべき絵や、調度品を建物が選ぶのです。音楽でも、この建物ではどういう音楽を聞きたいかというのが出てくるのです。だから、建物がふさわしい芸術作品を選んでいくのであって、逆ではない」。
なるほど今まで気がつかなかったが、そういうことはあるだろう。コンサートを聴いて感動するのは、曲や演奏にもよるけれど、器に拠るところが大きい。ブルックナーが自分の交響曲を楽友協会で演奏してほしいと願ったという話もあるし、ワーグナーみたいに自作を上演するための劇場を作ってしまうヒトもいるくらいだ。
器は大事なのだ。
この録音は楽友協会でのものではないが、残響が長い。まるでトンネルの中にいるかのよう。
これを聴いた時、昔に放送されたFM番組を思い出した。秋山和慶が新日フィルを率いて行なったヨーロッパ公演の一環として、リンツのブルックナーホールでやったフランクの交響曲だ。
そこにはいわゆる「休止」がなかった。全部の楽器が停まっているのに音がホワホワ響き続けているのだった。
東京文化会館のデッドな響きに慣れた耳にはオドロキであった。ヨーロッパにはこんなホールがあるのだと感銘を受けた。
その後いろいろな演奏を聴いて、残響の多いことが必ずしもいいわけじゃないと思うようになったが、この録音のように露骨になんのためらいもなく残響を響かせているのを聴くと、これはこれで一興であり、すがすがしささえ覚える。
演奏そのものはオーソドックスなもの。奇を衒ったところはないし、アクもない。
このコンビによるブルックナーを聴くのは二曲目。最初の7番は金管奏者の技術に少なくない不安感があったが、5番は好調。目を見張るような巧みさはないものの、がっちりと地に足のついた安定感のある響きを堪能できる。
それにしても、このホールの残響はスゴイ。一度このホールでブルックナーを聴いてみたいものだ。
ロイトリンゲン・ヴュルッテンベルク・フィルハーモニー管弦楽団
ロベルト・パーテルノストロ(指揮)
2001年6月23日、ヴァインガルテン・バジリカでのライヴ録音。
PR