モーツァルト ピアノ協奏曲第27番 ゼルキン(Pf)オーマンディ指揮フィラデルフィア管朝霞市営球場に野球を観にいく。
高校野球選手権の埼玉予選。
朝霞高校対草加高校。
朝霞が2点を先制したあと草加も追いつき途中まで拮抗した試合になるが、6回に大量点をものにした朝霞が逃げ切る。
3塁側スタンドから。
1塁側スタンドから。
やや曇り空だったにも関わらず、観ているだけで汗だくになるくらいスタンドは暑い。
プレーしているほうはもっと暑いのだろうな。若いからあまり気にならないか。
久しぶりにレコードを鳴らすと片方のスピーカーからしか音が出ないので、プレイヤーを修理に出したのが先月の話。
だましだまし使っていたが、やはり片方しか出なくなったので結局プリメインアンプを買い換えてしまった。
アンプが悪さをしていたのだ。ようやく両方から聴こえるようになった。
そこまでしてLPを聴く価値があるのかちょっと疑問ではあったが、行きがかり上あとに引くのもシャクなのであった。
そういうわけで、ゼルキンの27番を聴くのは20年ぶりくらい。
モーツァルトの27はつねづねカーゾンかゼルキンに限ると思っていたが、最近はCDで持っているカーゾンのほうばかりを聴いていたので、ゼルキンのよさを忘れかけていた。
こうして改めて聴くといい。良すぎて参る。
先々週にカザドシュによる実に面白い17番を聴いたのだが、ゼルキンのピアノは当たり前かもしれないけれど、もう全然違う。
カザドシュのピアノは薄いヴェールがかかったような音であり、ちょっと浮世離れした味わいがあるが、ゼルキンのピアノはとても鮮明でかつ繊細なもの。少しの濁りもない透明感がある。ひとつひとつの音が粒だっていて、一音たりとも曖昧さのない確信に満ちた力に満ちている。
テンポは全体的に中庸で自然、ところどころ細かい変化があってそれがなんともいえず魅力的である。
オーマンディの指揮はまことに丁寧なもので、特に2楽章の弦に重なるフルートの響きは味わい深い。
その2楽章においては、ゼルキンの「間」がすごい。絶妙というしかない余韻がある。目頭が熱くなる。
こんな音楽を書いたモーツァルトというヒトは一体なんなのだろうと、今更ながらに思ってしまうのだ。
1962年1月28日の録音。
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