
吉田健一の「食い倒れの都、大阪」を読む。
「ここのビフテキは旨い。第一に、牛肉の匂いがする牛肉で、柔い肉だとか、霜降りだとかはそれ程珍しくはないが、見ないでも匂いで牛肉であることが解る肉は、この頃は姿を消したのではないかと思っていた。」
これは、かつての文壇界きっての食通が大阪を訪れて書いた、いわゆる食レポ。
当時はまだ新幹線がなかったから、東京から大阪までは「つばめ」で移動。「どうせこれから食べて廻るのだから」という理由にもならない理由で、早速食堂車へ。
大阪へ着いてからは、まず高津神社近くの「たこ梅」。茹で蛸を珍しがっているので、当時(1958年)は東京のおでんにはタコはなかったのか。
難波本通りの「アストリア」。但馬牛のビフテキが300円で食えるからお得と言っている。いまだといくらくらいなのかな。
千日前の「だるま屋」のかやく飯。油揚げ、人参、牛蒡、椎茸、蓮、豆などと炊き込んである。幾らでも食べられる。
御霊神社の「美々卯」はうどんではなく蕎麦。鶉の卵をふたつ汁にくわえたもり蕎麦は細い手打ちが旨い。
新橋の「生野」の鰻。熱いご飯に、白焼きにしたものと海苔、山葵を載せてお茶をかけた茶漬けが矢鱈に旨い。
北船場の「鮨萬」では、磯巻き。サンドウィッチみたいに、飯と飯の間に鯖を挟んで海苔を巻いたもの。鮨の脂っこさを感じない。
まだ続くが、お腹が減ってきたので、このあたりで。

カッチェンのピアノで、ブラームスの6つの小品(作品118)を聴く。
(1962年~1965年、ロンドン、デッカ第3スタジオでの録音)。
6曲あるうち、1,2,4,6曲目がインテルメッツォ(間奏曲)、3曲目がバラード、5曲目がロマンツェ、という構成。
華麗さと渋さ、夜の冷気と昼さがりの停滞した空気とが、それぞれの曲に混在しており、通して聴くとじつに多様。
規模は大きくないが、ブラームスの芸術のひとつの集大成として、完成され尽くした感はある。
カッチェンのピアノはいつも通り闊達であり、深い情緒にもこと欠かない。
虹がかたわらで上方にかかり、完全な弧を描いて鮮烈に、至純の壮麗さを見せ、その油のように濃厚な七色を見せてしめやかに微光を放ち、稠密な、輝く緑の中に流れ落ちる。
春。
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