ジャン・フィリップ・コラール(Pf)宮原浩二郎の「ニーチェ 運命を味方にする力」を読む。
今はやりのニーチェ本のひとつ。氷上英廣訳の「ツァラトゥストラはこう言った」をテキストに解説している。岩波文庫で昔読んだが、口当たりはよいものの、比喩が多いためにその裏を感じ取ることはなかなか容易ではない。だから、その解釈は読む人によってさまざまだ。
「力が慈しみとかわり
可視の世界に降りてくるとき
そのような下降をわたしは美と呼ぶ」。
とニーチェが言ったとき、著者はこう解釈する。
「荒々しい力が美によって鎮められ、優雅さとして現れる。それが、ほんものの力の発展だ」。
理解と展開の切れ味。この行為は空想ではなく現実に直面するコミュニケーションの術だということを改めて感じる。
EMIのシューマン・ボックスから、まず「交響練習曲」。
コラールのシューマン、最初の音を聴いたときから引き込まれる。ピアノの音が粒立ち具合が鮮やかなのだ。ひとつひとつの音が、かっちりと自立していて、曖昧なところがない。
軽やかに磨かれた音は、リヒテルとは別の浮遊感がある。スマートでありながら、ひんやりとした霊感も豊富だ。
この曲については、シューマンの傑作であるところの、遺作の第5変奏曲の扱いが気になるところだ。この演奏では、通常フィナーレに置かれる、アレグロ・ブリランテの前に奏されている。粒立ちのよさからくる明晰さ、それに加えて、くぐもった幻想味が立ちのぼる。
ラストは涼しげなテクニックが冴えわたる。いいシューマンである。
シューマン・ボックス、続きを聴くのが楽しみになってきた。
1976年7月20日、パリ、サル・ワグラムでの録音。
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