サン・サーンス オーボエ曲集 シュニーマン(Ob) ジャコメッティ(Pf)松井MVP。スポーツニュースを録画して何度も観たけど、今晩も観るよ!
今週読んだ本。
城山三郎の「打たれ強く生きる」はビジネス関連をテーマにしたエッセイ集。そのなかの「配転ははじまり」という文章では、会社で左遷されることの意味を語っている。例えば、野球の試合でピッチャーが打ち込まれた
ときにすぐに交代させるのは、監督の温情だという。多くの観客の中でさらしものにするよりは、早めに手を打ったほうがピッチャーにとっては精神的ダメージが少ないとのこと。会社のなかでも同じで、二度三度と同じ失敗をした場合は左遷や降格をさせる。ただ、そのまま落としたままではなく、当人がどうしているかをきちんと見守るのが肝要であるらしい。降ろされたらうなだれきるのではなく、一息つきながら続行されているゲームを見守ることで、次の仕事が芽生えてくるわけだ。
ねじめ正一の「ぼくらの言葉塾」を読む。
日常生活の中で使う言葉の多くは、意味のあるものではなければならないと思っていた。家で使う言葉は少しぞんざいでいいかもしれないけれど、会社にで使うときは特にそう思う。けれど、ねじめは意味のある言葉ばかりがコミュニケーションではないと言う。
居酒屋のレジでサラリーマンの二人連れが「私が払います」「いえ私が払います」というようなことを延々と繰り返す。著者はこういう場にいると、もっともっと続けてくださいと頼みたくなるのだそうだ。言葉の意味よりも、言葉を繰り返すことによって快感を感じるらしい。こういうことは、音楽にも通じる。
何度も何度も同じ旋律が繰り返されることで気分がよくなることがある。音だから意味はないわけだけど、作者や演奏者の気分や感情を直截に感じるのだ。これは論理なのか、そうではないのか。ともかく繰り返しは大事だ。
今週電車で聴いた曲。
サン・サーンスのオーボエ曲は、歌曲からの編曲とソナタ。編曲は作曲者自身が自ら晩年に行った。
メロディーの多彩さに魅せられる。ときには甘くてメランコリックでときにはヒロイック、暗い激情を思わせるものも。今までサン・サーンスの歌曲を聴いたことはなかったが、これを聴くと実に楽想が豊かで、しかも親しみやすい。ドイツリートに比べて総じて軽めであることも聴きやすさにつながっている。
これを聴くと最初からオーボエのために作ったのじゃないかと思うくらいにぴったり合っているように感じる。そうなると、歌のほうもがぜん聴きたくなる。
それに比べるとソナタは毅然とした味わいがある。形式にはめるためにテーマを切り詰めているのだろう。でも堅苦しい雰囲気はほとんどなく、軽妙さはここでも健在だ。
サン・サーンスの歌曲を聴いたことがないのにこのCDを購入したのは、ネットでたまたま見つけたときに、なにかピンとくるものがあったからである。サン・サーンス、オーボエ、歌曲との3つの組み合わせに妙にそそられた。
そういうときは往々にして当たり外れがあるが、これは大当りであった。
歌曲集(オーボエとピアノ版):
1.Le lever de la lune 4:38
2.La feuille de peuplier 1:43
3.Tristesse 2:27
4.La mort d’Ophélie 3:03
5.Aimons-nous 4:39
6.L’Attente 2:01
7.Au cimetière 2:51
8.Chanson triste 2:33
9.La cloche 5:13
10.L’enlêvement 2:20
11.Extase 4:26
12.Peut-être 1:33
13.Pourquoi rester seulette 1:40
14.La sérénité 3:21
16.Le rossignol 2:45
17.Plainte 3:35
オーボエ・ソナタ op.166
・Andantino 3:11
・Ad libitum 5:32
・Molto allegro 2:24
バート・シュニーマン(オーボエ)
パオロ・ジャコメッティ(ピアノ)
1997年4月、オランダでの録音。
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