セルジュ・チェリビダッケ指揮 ミュンヘン・フィルサン=テグジュペリ(二木麻里訳)の「夜間飛行」は、航空小説の枠を超えた20世紀文学の傑作。
冒頭から、静謐で抒情的なレトリックに引き込まれないではいられない。
「夕暮れの黄金の光のなかで、飛行機の下につらなる丘にはすでに長い陰影が彫り込まれていた」。
あまり言われないかもしれないが、この小説はビジネス書としても読み解くことができると思う。それは地上で司令にあたるリヴィエールの言動から掬い取ることができる。
「法則をつくるものは経験です。どれほど知識を積み上げようと、経験に優るものには決してなりません」。
これは、航空会社の立ち上げ討議での発言。
「ある日、見知らぬエンジニアに言われたことがある。建設中の橋のたもとで、けがをした男性をリヴィエールがのぞきこんだときのことだった。『人間の顔を粉砕してまで架ける値うちのある橋ですかね』」
これは回想。仕事とはなにかを根本から考えさせるシーンであり、この後のリヴィエールの決断を象徴するエピソードとなっている。
ところで、著者は第二次大戦で飛行中に撃沈されて、44歳でこの世を去っている。これはけっこう有名な話であるから知っていたが、本書に付録されている年譜を読むと、それまでにも穏やかではない事故に遭遇していることが分かって面白い。
1923年(著者23歳)、ル・ブールジュ飛行場上空で高度90メートルから墜落事故。1933年、サン=ラファエルで水上機のテスト飛行中に水没事故。1934年、サイゴンに向けての長距離飛行中にメコン川に不時着。1935年、パリ-サイゴン間の飛行中にリビア砂漠に墜落。1938年、ニューヨーク-フエゴ島間の長距離飛行の際にグアテマラで離陸に失敗して機が大破。
華麗なる、といったら本人はたまったものではないかもしれないが、たいした事故遍歴であることは間違いない。これらの悪運にめげず、彼は終生、著作活動と共に飛行機乗りをやめなかった。不屈の人だったのである。
チェリビダッケのバルトーク「オケコン」。この曲は確か、彼が初めて来日したときに、読売日響を相手に披露した曲である。だから得意にしていたのかは定かではないが、尋常ではない回数の練習を重ねるだけの価値はありそうな曲のような気はする。
バルトークのこの曲には、オーケストラのパワフルな機動力の爆発を期待することが多い。実際、ショルティやドラティなんかの直截的ともいえる演奏を喜んで聴いているわけだ。チェリビダッケのものは、もちろん、そうした方向にはベクトルは向いていない。ダイナミックよりは、合奏の溶け合う加減の妙味で聴かせる。だから、終曲のような激しい音楽よりも、「対の遊び」や「悲歌」のような、室内楽的精緻さをもつ曲のほうが合うように思った。
そのなかでは、丹念に練り上げられた弦楽器の音色に惹かれる。肌理の細かさは、成熟した女の肌のようにエロい。このエロさは、弦楽器に限らず、しっとりまとわりつくようなクラリネットやファゴット、フルートからもじわじわと感じるのだ。
1995年3月、ミュンヘン、ガスタイク・ホールでの録音。
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