シュトラウス「ばらの騎士」 カラヤン指揮フィルハーモニア管弦楽団浅田次郎の「天国までの百マイル」は、借金まみれの主人公が病気の母親に手術を受けさせるために奔走する話。
主人公がいい奴なのか悪い奴なのか、判然としない。また、その兄弟たちもそう。主人公の愛人と最後に出てくる医者はたぶんいい奴だが、他の登場人物は、善悪という意味ではキャラクターがつかみづらい。たぶんあえてそういう筆致で描いている。
人生はカネじゃないけどカネはいる。しかるに、人間は良くてまた良くもないと。
カラヤン盤のライナーによれば、「ばらの騎士」の舞台は1740年ころのウイーンとある。
ハイドンやマリア・テレジアが活躍していた時期であり、モーツァルトやマリー・アントワネットはまだ生まれていない。フランス革命がくるまでのヨーロッパ爛熟期ということになる。
意地悪く言えば、貴族がでかいツラをしてのさばっていた頃。もうすぐ革命が起こってみんな木端微塵だぞコノヤロー! などと僻みつつも、考えてみれば言語も国も時代も食い物も衣装もなにもかもが違うからこそ、面白さがあるんだろうな、とも思う。
わけのわからないものばかりなんだけど、最後は「人情や機微は国や身分を超えるんだよ。目もふたつだしな」なんてオチで締めくくって泣かせるわけだ。
そういう楽しみが、「ばらの騎士」には溢れている。
カラヤンの最初のセッション録音を聴くと、18世紀のウイーンはこんな雰囲気だったのか、と思わされずにいられない。これが本当に18世紀なのか、ウイーンなのか、もちろんわからないんだけど、とにかく匂いが濃い。外人の体臭と香水が入り交ざったような、あれである。
この匂いがロンドンのオーケストラから発散されているところが、この録音のスゴさで、最初から最後まで、怪しい芳香を放ってやまない。
指揮者の手腕であろう。歌手も違和感なく管弦楽に溶け込んでいる。
またここでは、ほんわかとしたEMIの録音がうまくいっている。下手なデジタル録音よりよほどいいものだ。
マルシャリン:エリーザベト・シュヴァルツコップ
オクタヴィアン:クリスタ・ルートヴィヒ
オックス男爵:オットー・エーデルマン
ゾフィー:テレサ・シュティヒ・ランダル
ファーニナル:エバーハルト・ヴェヒター、他
フィルハーモニア管弦楽団・合唱団
1956年12月、ロンドン、キングズウェイ・ホールでの録音。
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