宮本常一の「ふだん着の婚礼」を読む。
「未婚時代のつきあいとちがって、男のわがままが出てくることが多い。すると女はさっさと家へ帰ったものである。この場合、貞操というようなことはたいして問題にはしなかったようである。そしてまたよい嫁入り口があればそこへ行く。」
これは、その生涯を旅に生きた民俗学者が、佐渡、能登、対馬を訪れ、現地の結婚について綴ったルポ。
対馬で多くみられたのが、テボカライ婚。お嫁さんは親と仲人に連れられて、会ったことのない人の家に行き簡単な盃ごとをして、翌日からは夫の家のものとして田畑などの仕事をする。
そんな簡単な関係だから、夫の振る舞いによっては、お嫁さんはすぐに出ていくという習慣があった。著者は、1950年頃に38回結婚したというばあさんがいたという噂を聞き仰天するが、実際に18回結婚したというばあさんに会うことができた。
「わるい亭主にそうたら女は一生の不幸だという。牛や馬を飼う場合でも、気に入らないものはすぐ売ってしまう。人間だって同じことだ。だからほんとによい男に出会うまでは相手をかえてみることだ、とそのばあさんはいった。」
夫が、牛や馬と同じ扱いなのが笑える。
今の日本では離婚が多くなったというニュースを見かけるが、当時の対馬では離婚が問題ではなかったらしい。そこでは、家というものがそれほど強い重しにはならなかったからだという。
昔の対馬は、こと結婚に関しては、最先端の割り切りをしていたようだ。
ストルツマンのクラリネット、東京クァルテットの演奏で、モーツァルトのクラリネット五重奏曲を聴く(1990年7月、ニューヨーク、アメリカン・アカデミーでの録音)。
レコード録音をするほどのクラリネット奏者ならば、ある程度以上は技術的に安定しているので、そういった要素の勝負ではなく、メロディーの歌わせ方やニュアンスのつけかたで聴かせる、といったアプローチをすることが多いのではないだろうか。
いくつかレコードやCDを聴いてきたけれど、テンポや強弱をやたらと変えるといったやり方を聴いたことがない。みんな、同じようなスタイルで演奏しているので、どれが突出しているかと問われると答えに窮する。
それは、モーツァルトの音楽が完成し尽くしているということなのかもしれない。
そのことは本演奏にも言える。極めてまっとうなテンポ設定。変わったことはなにもしていない。やはり、決めてはディテイル。
速いパッセージにおいてのクラリネットは軽やかで、まったく危なげがなく楽々と吹いているようだ。
低音の厚みは、あたかも濃厚なウインナ・コーヒーのようなコクがある。2楽章における幽玄な響きは、この演奏の最大の聴きどころ。浮世離れしていて素晴らしい。
東京SQのサポートは、言うことなし。
原田幸一郎(第1ヴァイオリン)
池田菊衛(第2ヴァイオリン)
磯村和英(ヴィオラ)
原田禎夫(チェロ)
春。
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