モーツァルト ピアノ協奏曲15,17番 カザドシュ(Pf) セル指揮クリーヴランド管カザドシュとセルのモーツァルト、ライナー・ノーツは西村弘治が書いている。
「協奏曲の歴史はモーツァルトに頂点を極められてしまった観がある。その多様性にはまったく誰も及ばない」、とある。
モーツァルトはいろいろな楽器のための協奏曲を書いていて、それぞれいいものだ。
ヴァイオリン、オーボエ、ホルン、ファゴット、フルート…。
素晴らしいけれども、これらの楽器の協奏曲では、誰も及ばないというわけではない。ヴァイオリンではパガニーニやベートーヴェンがいるし、オーボエやホルンにはシュトラウスがいる。
でも、ピアノはどうだろう。このジャンルでは、圧倒的にモーツァルトの独走なのじゃないだろうか。
他にも面白いピアノ協奏曲を書いた作曲家は何人もいるけれど、質量ともにモーツァルトに及ばないと思う。ピアノのためだけに30曲近く書いて、あのボルテージ。仮にこのジャンルだけ残したとしても、モーツァルトの名は後世に残るだろう。
名曲揃いの中で、ことに好きなのは17番と23番だ。20番や25番も捨て難いものがあるけれど、どれかひとつと言われたら(今後のジンセイでこういうことを聞かれることはたぶんないだろうけど勝手に決めつけてみると)、この2曲のどちらかひとつということになる。
その17番のLPを聴いてみて、改めて面白いと思った。面白すぎる。
1楽章の軽やかな足取りの第1主題、憂いがこもった第2主題、ともに単純だけれど何度聴いても飽きない。
この演奏では11分強の時間になるのだけど、そのあいだまったく弛緩することがない。聴いているときの充実感は他に替えがたいものがある。
アンデンテの2楽章のしっとりとした抒情は、キリリと締まった辛口の白ワインの味わい。高貴である。音楽だけには切に品の良さを求めたいものだが、それをかなえてくれている。
ここまでの曲は文句なく素晴らしい。でも、なんといってもこの曲の最大の聴きどころは終楽章。
アレグレットの主題をもとにした変奏曲であるが、このテーマが実にいい。なんともリズミカルで楽しいメロディーであり、その中にほんの少量の陰りのスパイスが効いている。
このメロディーが徐々に展開されていくわけだけど、それがわかりやすい。音楽は結局、わかりやすいほうがいい。天空を舞うような軽やかさとしなやかさ、それにめくるめくスピード感。
モーツァルトのエッセンスはアレグロにあるというヒトがいる。この曲を聴くとまったく同感である。
セルとクリーヴランドのアンサンブルは、いつも以上に精度が高いようだ。彼らの演奏するモーツァルトのなかでもベストなのではと思うくらい。
カザドシュのピアノは粒だっていて明瞭であり、ひとつの音も濁っていない。流れが自然で推進力がある。
両者の掛け合いにスキは見当たらず完成度が高い。これ以上の演奏はちょっと想像がつかない。
1968年10月、クリーヴランド、セヴァランス・ホールでの録音。
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