池澤夏樹の「キップをなくして」を読む。
舞台は主人公のイタル君が記念切手を買いに行く途中の東京駅。改札を出ようとしてキップがないことに気付いて、うろうろしていると知らない女の子から声をかけられ、あるところに連れてゆかれる。
そこは駅の中なのに、同じような年代の子どもが勉強したり遊んだりしている。その日からイタル君は「駅の子」として生活することになる。
朝と晩は電車通学をする子どものサポートに東京中の駅を駆け回る。夜は勉強したり遊んだり。
学校にも家族にも連絡しているから大丈夫なのだというけれど、どうしてこんなことをやっているのだろう。
そんな疑問が徐々に明かされてゆく。
本屋の店頭に並んでいたのであまり考えずに読んでみたら、どうも子供向けの本だったようだが面白かった。
ラストは駅の子みんなで北海道へ電車の旅。別れのせつなさをリアルに描いており、呑みながら読んだら泣いたかも知れない。
先月に録画したフランツ・ウェルザー・メストとクリーヴランド管弦楽団の演奏会を観る。
地上波でセヴェランス・ホールを見られるとは思っていなかったので、これは貴重な放送といえる。
しかもリンツ生まれのメストの棒によるブルックナーとあっては見逃せない…というものの、実は録画したことを忘れかけていたのをたまたまDVDのメニューをいじっていたら思い出したのだった。
いいブルックナーである。奇を衒わないオーソドックスな演奏なので、安心してブルックナーの音響に身を任せることができる。
金管楽器はときおりかなり強く奏されるところ、セルのベートーヴェンの録音を思わせるがあれほどキツくなく、全体に溶け合っているところは録音がよいからかもしれない。
この曲の頂点は2楽章のシンバルの登場であるわけだが(シンバルを用いない演奏もあるけれど、例のあそこです)、このメストの演奏では張り詰めた緊張感が一気に開放されるようなカタルシスを感じる。一歩一歩堅実に我慢強く弾き抜いてきたかいがアリマシタという感じ。
クリーヴランド管弦楽団はやはりトータルにレベルの高いオケであるが、ことに弦がいい。ヴァイオリン、そしてヴィオラの響きはよく磨かれており、合奏も精度が高い。
セヴェランス・ホールを初めてまじまじと見たが、ボストンほど古めかしくなくシカゴほど現代的ではなく、ほどよく装飾があり適度に機能的な内装だと感じた。
2008年9月25日、クリーヴランド、セヴェランス・ホールでの録音。
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