メンデルスゾーン「八重奏曲」 メータ指揮イスラエル・フィル内田樹の「日本辺境論」を読む。
何度も読み返すだろうと思うところに折り目をつけてながら読むクセがあるのだが、この本には6つの折り目がついた。
内田の本から得る示唆は多い。本人は、先人の言ったことを色を少し変えつつ繰り返し述べているだけだという。そうなのかもしれないが、私にとっては新鮮な話が多い。以前からぼんやり考えていたことを、明確に言葉にしてくれるからじゃないかと思う。
以下は、そのなかのひとつ。
「韓国でもベトナムでも母語しかできない人にはしだいに大学のポストがなくなりつつあります。その中で、日本だけが例外的に、土着語だけしか使用できない人間でも大学教授になれ、政治家になれ、官僚になれます。これは世界的にはきわめて例外的なことなのです。」
「それは英語やフランス語で論じられることは、ほぼ全部日本語でも論じることができるからです。どうして論じられるかといえば、外来の概念や術語をそのつど『真名』として『正統の地位』に置いてきて、それをコロキアルな土着語のうちに引き取って、圭角を削って、手触りの悪いところに緩衝材を塗り込んで、生活者に届く言葉として、人の肌に直に触れても大丈夫な言葉に『翻訳』する努力を営々と続けてきたからです。」
メンデルスゾーンの八重奏曲は好きな曲だ。いい曲なのにCDの数はあまり多くない。オリジナルであれば弦楽合奏団の団員か弦楽四重奏団の寄り合いのどちらかの構成になるようだ。常駐の編成でできないところが録音数の少なさにつながっているのかも。
よく聴くのはラルキブデッリよる演奏である。この団体にしたって、いつも8人揃っているわけではないだろう。この曲をやるために、工夫をこらしてメンバーを集めているのだ。
そういう意味では、弦楽合奏に編曲したもののほうがやり易いかもしれない。オーケストラの弦楽パートでそのままできるわけだから。でも、その割にはこれもやはり演奏される機会は多いとはいえない。技術的に難しいからだからか。特に、3楽章は素人耳でも難しいように感じるから。
メータがイスラエルを振った演奏は、弦楽合奏版によるもの。通常の編成からそっくり弦楽パートを抜き出したくらいの規模じゃないかと思う。イスラエルの弦は定評が高いけれど、その期待を裏切らない。すばらしくきめが細かくて、しっとりとした手触り。微妙にかかっているヴィヴラートはほんのり甘口。ことにヴァイオリンのみずみずしさは際立っていて、この音色を楽しむだけのためにこの演奏を聴く価値はありそうだ。
メータは、こころもちテンポをたっぷりとっている。とても恰幅がいい。オーケストラの美質をじゅうぶんに引き出しているように思う。
微妙なニュアンスの楽しさではラルキブデッリ、弦のつややかな音色の魅力ではメータというところ。
1979年7月、テル・アヴィヴ、フレデリック・R・マン・オーディトリアムでの録音。
交響曲第7番の日本初演立会いのために訪れたとのこと。
不景気な世間に、一陣の爽やかな風が吹いた、かな。
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