バルビローリ指揮ベルリン・フィル/マーラー交響曲第9番バルビローリのこの盤は、1963年に彼がベルリン・フィルに客演したときの演奏が素晴らしかったことを受けて、団員の強い要望があって録音が実現したものである。
その話を聞いていた私は、どんなトンデモナイ演奏なのだろうと、心を躍らせたものである。
この録音は1964年のもの。その後、マーラーの交響曲はまるで竹の子のように次々と録音されていって、「第九」だけをとってみても、ジュリーニ、バーンスタイン、カラヤン、アバド、テンシュテット、レヴァインなどの名演が林立している。新譜が出れば、評論家が入れ替わり立ち代りに絶賛するという状態であった。
たしかにそれらの演奏はいい。それぞれに思い入れ深く、切実に美しくマーラーを演じている。
私がこのバルビローリ盤を聴いたのは、ジュリーニやバーンスタインを聴いた後のことであるが、実に素朴だと感じた。あまり派手さがないので、しばらくの間、この演奏のよさがわからなかった。
「勝手にベルリン・フィルの日」
ここ数年のことだろう、この渋さがわかってきたのは。私の人生も折り返し地点を通過したことで、男の渋さを身につけつつあるのだろうか。
このバルビローリのマーラーは聴けば聴くほど味がでてくる、テンポはCD1枚に収まる程度なので、比較的速いといえる。
この速さがこの演奏の特性を表しているように思う。どんな曲でもそうだが、テンポを遅くすれば、深いように聴こえる。が、バルビローリはそれをしないで、テンポの速さの中で、弦楽器の立体感を明確にし、管楽器は総じて後ろにひっこませた結果、とてもスリムで端正なマーラーが浮かび上がっている。この演奏での、両端楽章の弦楽器の粘りは、よく聴いてみるとすさまじいが、それがあざとくないので、どちらかといえば淡白にさえ聴こえる。
ひとりひとりのソリストが、懸命に鳴らせているのが手に取るようにわかる。特に終楽章はそうだ。
1964年といえばカラヤンの全盛期であり、ベルリン・フィルを手中に収めている頃であり、ありあまるパワーを押し付けがましいほどに炸裂させた演奏が多いが、ここでのオケは指揮者の手腕のせいか、巧みに抑制されていて全体のバランスが安定している。カラヤンとの演奏ではいつもうなるようなごつい響きを鳴らせる低弦は、ここでは合奏に自然に溶け込んでいる。
この録音がもしライヴであったならば、様相はだいぶ違ってくるだろう。なんたってバルビローリである。これがスタジオ録音であることで、テンションが中庸に抑えられた結果、こうして演奏後数十年たっても聴き継がれるような完成度になったとも言えるだろう。★音楽blogランキング!★にほんブログ村 クラシックブログ無料メルマガ『究極の娯楽 -古典音楽の毒と薬-』 読者登録フォーム
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