ベートーヴェン交響曲第7番 ドゥダメル指揮シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ丸谷才一・鹿島茂・三浦雅士の「文学全集を立ちあげる」から「世界文学全集篇」を読む。
論客の3人が、独断と偏見を隠そうともせずケンケンガクガクの論議をしながら世界の文学作品を選んでいく面白い遊び。
スターンを『呑気な、だらしのない詩情』と賛美したり、ブロンテの「嵐が丘」を『セックスを知らないで書く「元祖少女マンガ」』と揶揄したかと思えば、「パンセ」は文学的だから入れるけどデカルトは入れないとか、説教された歯医者の診療室に全集があったからロマン・ロランはつまらない、果てはサルトルは『小説も戯曲もすごく下手』。実際はどうだかわからないが一杯やりながらの収録に思える。悪口は蜜の味。
もちろん下世話な話にもことかかない。丸谷才一が桐朋学園で英語を教えていた時、斎藤秀雄とよくぶつかったという。英語ができない学生を嘆く丸谷に、斎藤が『あれは楽隊なんですよ。曲と曲の合間にトランプで賭けをして、勝った、負けた。そして「さあ」と言って出て行ってモーツァルトをベートーヴェンを弾く。そういう連中なんですよ。それなのに、あなたはヨーロッパ文化なんていうことをおっしゃる。それはとんでもない間違いなんだ』。
強烈な一撃。斎藤が馬鹿にしかみえない。
グスターボ・ドゥダメル。1981年生まれということはワタシが高校のときであるからして、子供くらいの年齢といってもおかしくはない。
昔からウキエさんと高校球児と指揮者というものは、常に年上のイメージがある。さすがにウキエさんと高校球児は遠く離れてしまったが、指揮者はいつも目上であってほしいと思うのは人情。でも、とうとう子供くらいの年頃の指揮者が登場してしまった。
現在、エーテボリ響の首席指揮者であり、ロサンゼルス・フィルの音楽監督である。まいったね。
さてこの指揮者、去年だかに来日したときのチャイコフスキーの演奏をテレビ放送を観たくらいで、CDを聴くのはこれが初めて。
チャイコフスキーは、増員させたオーケストラをバリバリと弾かせたもので、まるで一昔前の巨匠風の演奏だった。そこにはいまはやりのピリオド奏法のかけらはなく、昭和の香りが濃厚なもので、それがけっこう気に入ったことを覚えている。
このベートーヴェンはセッション録音ということもあってか、あんなに大ぶりで熱狂的な演奏ではない。奇をてらわないオーソドックスなつくりを基礎としつつ、ディテイルを整備することを怠らない細やかな演奏といえる。速くて激しい部分よりも、緩やかな場面によさが出ているように感じる。1楽章の序奏部や2楽章の弦は、少しくすんだ色を放ちながら妖しくつややかで際立っているのが印象的。あと3楽章のトリオにおける木管の重ねかたに工夫があって面白い。
ときおり、ピリっと機転のきいた場面はあるものの、全体的にはいささか小ぶりなベートーヴェン。
2006年2月、カラカス、ベネズエラ中央大学アウラ・マグナ講堂での録音。
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この3人、文学の知識があることをいいことに言いたい放題、どれだけ酔っ払っているんだよいった風情があります。読んだことのない本について言われると、なんだかわけがわかったようなわからないような、おいてけぼりにされた感じがありますが、笑えます。
ご指摘の「レ・ミゼラブル」、少女マンガっぽいからはずそうかという議論のなかで、いやいや大衆小説の原型を作ったから、という理由でリストアップされています。
全体に選ぶ基準は好みにあるようで、じつに楽しそうな仕事です。
ドゥダメルの演奏、面白かったです。ピリオドに走らないところを気に入りましたし、鋭敏な演奏です。他にも聴いてみたい指揮者です。