シューベルト「鱒」 ギレリス(Pf) アマデウスSQ ツェペリッツ(Cb)ひろさちやの「こだわりを捨てる般若心経」を読む。
このお経、膨大な量なのだろうとイメージがあったが、初めのほうに掲載された全文は、行間をたっぷり空けて4ページほど。原文を眺めてもまったくわからないが、現代語訳を読んだってわからなさは変わらない。
存在と精神は空だという。この、すべては空だということが、この書の大きなテーマだということらしい。
深い。というか、いったいどうすればいいのか。
なんと著者はこのことから、さまざまな世界の事象を、あたかも帽子からハトを出す手品師のように読み解いていく。といってもこのお経本体に記述があるわけではなくて、その前提となる書がさまざまあり、それらが「般若心経」の考えの基礎になっているらしい。
『わたしたちは殺さざるを得ないのです。蚊や蝿、ゴキブリを殺さざるを得ない。魚や牛、豚を殺さざるを得ない。そうでないと、わたしたちは生きることができないのです』。
『不殺生戒は、あらゆる生き物を殺すな、と教えています。でも、そんなこと、わたしたちには守れません。わたしたちは殺さざるを得ないのです。だから、わたしたちは殺します。戒を破るのです。しかし、そのとき、わたしたちは殺した生き物にしっかり懺悔します』。
なにはともあれ懺悔である。
ギレリスとアマデウスによる「鱒」は、弦楽器を全面に押し出した伸びやかな演奏。
ギレリスというとありあまる技巧とパワーで弾き倒すイメージがあるが、ここではなんとも控えめだ。音は丸くて柔らかく、決して出しゃばらず、音量を慎重に抑えて全体のバランスを丁寧にとっている。黒子に徹したオトナのピアノといえる。
そんな伴侶を得たヨロコビからか、弦楽群はとても雄弁。どの楽器もみずみずしい響きでもって豊かな表情を惜しまない。適度なうねりが重なり合って、すばらしくいきいきとしたアンサンブルだ。ときおりフッと影を差すシューベルト転調の具合も自然でよい。
1975年8月~9月、フィンランド、トゥルク・コンセルッテタロでの録音。
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そうそうもとはサンスクリット語だそうですね。この本には漢訳に対して著者の日本語訳がのっています。非常にわかりやすい日本語だと思いますが、理解するのは難しいと思います。
昔のギレリスの演奏はあまり多くを聴いたことがないのですが、本で知る限りだとスゴかったようですね。
DGのブラームスやベートーヴェンを正統派という気がします。このシューベルトは控えめといっていいくらいのスタイルで、健気ささえ感じます。