ヘンデル「メサイア」 ピノック指揮イングリッシュ・コンサート、他『ピノックに駄作なし』と言い放ったのは、かの三浦淳史である。80年代のこと。
その頃ピノックは好調で、ヴィヴァルディやバッハ、ヘンデルの管弦楽曲を次から次へと録音して世に送り出していた。
当時貧乏学生だった私は、近所の図書館へ毎日のように通ってはレコードを借りて聴いていたけれど、もちろん、ピノックにもお世話になっていた。バッハのチェンバロ協奏曲なぞ聴いては、わけもなくうなづいたりしていたものだ。
そもそも、古楽器が今ほどメジャーではなかったこともあって、ピノックの演奏する音楽は、いままで聴いたことのないような新鮮さに満ちていたものだった(もっとも、ホントに初めて聴く曲もすくなくなかったが)。
だから、三浦の絶賛にも納得したのだった。
古楽器がずいぶんと幅をきかせるようになった21世紀の今、ピノックの演奏が色褪せたかといえば、それは違う。彼の音楽は、今でもじわじわと光を放っている。
この「メサイア」は今から20年ほど前のものだけれども、彼の手による掛け値なく素晴らしい演奏のひとつ。
ピノックが念入りに、用意周到に紡ぎあげるオーケストラの淡白な響きもさることながら、ともかく合唱がいい。
音程はピシッと安定しており、透き通るハーモニーがこの上なくすがすがしい。「腰が抜ける」ほどではないにしても、この合唱の一節を聴いただけで、背筋が伸びて清らかな心地になる。
すみずみにまで気配りの行き届いた丁寧な演奏が、ずっしりとリアルに伝わってくる。
これはたぶん、いままで聴いた「メサイア」の中でも最高の部類に属するもので、合唱を聴くためだけでも、このCDを持つ価値はあるのじゃないかと思う。
歌手陣も、この合唱のレベルに劣らない歌いぶり。
オジェーのいぶし銀のようなじっくりとした味わい、オッターの繊細で豊かな表情、チャンスの凛々しさ、クルックのみずみずしさ。トムリンソンは、まるでドン・ジョヴァンニのような脂ぎった歌唱だけど、ピリリとしたスパイスとなっている。
全体的に、温度は低めで冷静であり、かつ眼差しが優しい演奏。
ピノックの名演のひとつである。
アーリーン・オジェー(S)
アンネ・ゾフィー・フォン・オッター(MS)
マイケル・チャンス(C-T)
ハワード・クルック(T)
ジョン・トムリンソン(B)
イングリッシュ・コンサート、合唱団
トレヴァー・ピノック(指揮,cemb)
1988年1月、ロンドンでの録音。
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