フルトヴェングラー指揮 ベルリン・フィル坂口安吾の「堕落論」を読む。
高校のときに新潮文庫で読んで以来かもしれない。そのときは同じ本に収録されていた「日本文化史観」のほうが印象的だったし、こちらはもう何度か読み返したものだ。
今日読んだのは、集英社文庫のもの。夏休み向けなのであろう、派手なイラストの表紙に惹かれて、若者ぶって買ってしもうた。
四十七士の処刑を断行した理由のひとつは、生きながらえて生き恥じをさらす者がでたらせっかくの名を汚してはいけないという老婆心からだった、という説を引用しており、この逸話を軸に話は展開する。
改めて読んでみると、すごく大きなテーマを端的に言い表していることがわかる。本一冊くらいの密度があるのじゃないかとおもうのだけど、それをわずか15ページに凝縮している。巧みなレトリックで鋭くさばいていくところは、小林秀雄と共通するところじゃないかと思う。
テンシュテットのブルックナー8番を聴いたら、フルトヴェングラーの演奏にも触れねばなるまい(←なんて、じつは今日初めて聴いた)。
フルヴェンの演奏はテンシュテットに似ている、というのはもちろん逆で、テンシュテットのブルックナーはフルトヴェングラーにかなり影響を受けているのじゃないかと思う。
全体にテンポはゆっくりしていて(フルヴェンは部分的に急速するところがあるものの)、フレーズをたっぷりと歌わせている。
テンポの変化は大きいけれども、身を任せているとそれは音楽の流れに絶妙に合っていて、不自然なところはない。冷静になって思い起こしてみると、そうとうに変えているのだけどね。
これは1949年の録音だけれど、音は悪くない。ベルリン・フィルの厚い響きが堪能できる。弦は重厚だし、金管はバリバリ鳴る。特に、ほんのわずかに遅れて放たれるティンパニのタイミングは完璧! ドスンと腹に沁みる。
このディスクは、スタジオとライヴとの合成であるらしいが、合成とは思えないくらい完成度は高いと思う。
一気呵成に突き進む勢いがあるから、テンシュテットほど違和感はないものの、オーラスの締めのテンポはやはり速い。
1949年3月14,15日、ベルリンでの録音。
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