ブラームス「ヴァイオリン協奏曲」 グリュミオー(Vn)ベイヌム指揮コンセルトヘボウ管弦楽団村上春樹と柴田元幸の「翻訳夜話」を読む。
前からうすぼんやり思っていたことが、これを読んで、確信に近い手ごたえを感じた。
「作品の持つ雰囲気をとらえるために、作家の背景ですとかを調べることがありますか」。
「それには二つの考え方があると思います。一つは、テキストがいちばん大事であるということ。テキストのみを読みこむことによって、その作家像とかいろんなものを自分の想像力のなかで再構築していく。もう一つは実際的な調査を行って、この作家はこういう人で、こういう人生を送って、というようなバックグラウンドを頭に入れて、それでこの作品のトーンを考証的に割り出していく。両方の方法があるし、僕はどっちでもいいと思うんですよ」。
そう、著作の翻訳と、音楽の演奏は似ている。
結局は結果がすべてとはいえ、そのやりかたはまったく異なるところも。
ある演奏家が、いつもどういった過程を経て演奏しているか、聴いただけでは知りようがないのだけれども、どういう経緯でこういう演奏になったのか、ときには、強く知りたいと思うのだ。
グリュミオーとベイヌムのブラームスを聴く。
グリュミオーの折り目正しい端正な弾きっぷりと、濃厚なコクのあるオーケストラがよく合う。
この曲はしばしばオケが重くなりがちだが、ここでの足取りはなかなか軽やかだ。コクはあるけど重くない。
べイヌムの軽快なタッチが冴えている。
グリュミオーの丁寧なヴァイオリンは、さほどスケールが大きいものではないものの、そのぶんピリッと小回りがきいた、スマートなものなので、録音された58年当時はなかなかモダンに聴こえたことだろう。
難曲なのに苦労を感じさせないうまさ。
2楽章のオーボエコンチェルトがなんともいい。線が細くて輪郭のはっきりしたオーボエで、なにか、とても懐かしいものを運んできてくれた感覚。毅然とした迷いない演奏。これは名人の手に拠るものに違いない。あっという間の8分41秒。
終楽章は、さらにオケが好調。羽毛のような弦、天空を舞うようなホルン。 申し分ない、というか、これ以上のものを思い出すのは難しいくらい。
カラヤンもクレンペラーもセルもヨッフムもジュリーニもドラティもライナーもよいけれど、軽やかさと細やかさでは、ベイヌムが鼻差で抜けているかも。なので、ヴァイオリンもよく鳴っているけれど、このオーケストラを前にしたら、グリュミオーもほんのちょっとだけ分が悪いように思える。
1958年7月の録音。
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