ドヴォルザーク 交響曲第7番 セル指揮クリーヴランド管弦楽団ドヴォルザークの音楽を聴くと懐かしさに胸がじんわりとすることがある。
私はチェコの生まれではない。それにも関わらずどうしてこういうことになるのか、前から気になっていたものの、未だにこれといった回答を思いつかない。
例えば、ジュリーニとロストロのコンビによる協奏曲の2楽章を聴いてしまうと、もうだめだ。涙腺が緩んで前が見えない。
同じジュリーニによるものでは、8番の交響曲なんかもぐっとくる。ボヘミアの豊かな大地とモルダウ川の悠々たる流れが眼前に迫りくるのだ。
行ったことはないのだが。
私の場合はしばしばジュリーニによる演奏によって、不思議な郷愁を感じることがある。ゆったりとしたテンポが効いているのかもしれない。
それに対して、セルの演奏はどうだろう。セルはブダペストの出身であるが、ドヴォルザークを好んでいたようで、何枚も録音を残している。
その中で、7番を聴いてみる。
これは鋭利な演奏だ。この曲においてはヴァイオリンが終始活躍するわけだが、キメの細かい合奏が常に鋭角的に切り込んでくる感じで、とても郷愁を誘うようなホンワカしたものではない。けっして冷たいものではないが、聴き手に緊張を強いるテンションの高さがある。
牧歌的な2楽章で一息つくものの、3楽章から終楽章にかけては怒涛の突進力だ。邪魔者は倒して突き進む、といった風情。
いつも冷徹なセルはドヴォルザークにおいては温かい演奏をする、なんて世評をよく見かけるが、少なくともこの7番の演奏についてはそれは当てはまらないような気がする。
やや硬質な録音もそれに輪をかけている。
1960年3月18,19日の録音。
広島旅行の続き。
市内を走る市電。この写真のようなレトロスタイルの車両のほか、モダンなスタイルのものも走っている。
山陽本線で広島から宮島口へ。
宮島口から宮島へ、フェリーで15分。
厳島神社の大鳥居をフェリーから。
干潮のため大鳥居のそばまで歩いていくことができる。
厳島神社。
宮島の鹿。
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