フィッシャー・ディースカウ EMI録音選集南直哉の「老師と少年」を読む。
悩みを抱えた少年と老師との夜ごとの対話。
少年が問う「生きる意味」について、答えは自分でみつけるしかないとつきはなす老師。
といいつつ、最後に少年に残した言葉は、
「生きる意味より死なない工夫だ」。
なんだか深い。深いし、ちょっぴりユーモラスないい言葉だ。
ディースカウによる「水車小屋」は、70年代以降の録音をいくつか聴いたが、情感よりも構成を重視したと思われる理詰めな演奏。
女にフラレて泣いたり叫んだりするお坊ちゃんというよりは、酸いも甘いも噛み分けることのできる、妙に成熟した若者といった風情。
好みでいえば、牧歌的で青臭い、お坊ちゃんのような歌い回しのほうがいい。
この録音は61年のもので、当時ディースカウは30代半ば。テンポが速めで、理性がかっていることは後年の演奏と同じ方向と感じるが、いくぶんあたりがやや柔らかくて情に厚いのは、演奏者が若かったからか。
ディースカウはときおり音程をはずして歌うことがある。それが技術的な瑕疵なのか意図的なものかわからないが、この曲においても1曲目からはずしているし、そのあとの何曲かについても違和感があるところがある。そういったところもあって、彼の「水車小屋」は今ひとつ買えないなどと思いつつ、終曲の「おやすみ」がおとずれると、端正な情感に痺れてしまうのだ。これが計算なら、一本取られたという感じ。
完成されたムーアのピアノには何も言うことなし。
1961年12月、ベルリン、ゲマインデハウスでの録音。
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