アンドレ・プレヴィン指揮 ロンドン・フィル会田雄次の「アーロン収容所」を読む。
これは、終戦直後から2年近くに渡りビルマにおいて英軍捕虜として生きた著者の記録。
ユーモアを交えながら軽快に描いているから、読んでいて重苦しくならない。けれども全編に渡って戦争「事後」の悲惨さが明確に浮かび上がる。
死にかけた日本兵の顔面を石でたたき割って金歯をとりだすビルマの民間人や、鉄条網で小便をしようとした兵を射殺するグルカ兵など、暴力の怖さもさることながら、強く印象に残るのはイギリス人の黄色人種に対する差別である。
「その日、私は部屋に入り掃除をしようとしておどろいた。一人の女が全裸で鏡の前に立って髪をすいていたからである。ドアの音にうしろをふりむいたが、日本兵であることを知るとそのまま何事もなかったようにまた髪をくしけずりはじめた」。
「東洋人に対するかれらの絶対的な優越感は、まったく自然なもので、努力しているのではない」。
著者は、そうしたイギリス人の態度にだんだんと慣れてきて、それが普通に感じるようになってくる自分に腹を立てる。
これはなんなのか。この苦い感覚が、この本の大きな骨幹になっている。
「やっと命令書を手にしたのでそれで武装し、私は作曲にとりかかった。『レクイエム』のテキストは、長いあいだ私の渇望していた餌食であった。ついに好餌が投げられた。私は猛り狂ったようにその餌食にとびかかっていった。頭は煮え立つ楽想の力で今にも裂ける感じであった」。
(「ベルリオーズ回想録1」丹治恆次郎訳)
大作好きのベルリオーズの作品のなかでも、畢生の巨作であるレクイエムは、大合唱とテノール独唱、そして管弦楽はコントラバス18台を要する弦5部に4管編成、ティンパニ8対、シンバル10対を始めとする打楽器や別動隊のバンダを必要とする。
ただ、これだけの大編成でありながら、スペクタル色は薄い。ひたすら空間の広がりのために使われている。
2曲目の「怒りの日」。それは「音の豪華なゴブラン織り」なんて小ジャレたものではなく、洪水である。管弦楽法の妙味というよりは、物量作戦。うちの貧弱なステレオでは、そのスゴさの半分も伝わらないに決まっているが、それでもチビりそうだ。
全曲のなかで「ラクリモザ」はトリッキーな動きをみせるが、その他の曲はゆっくりじっくり進行する。不器用ななかに誠実さを感じないではいられないなにかがある。フォーレを聴くよりよほどいい。
ロンドンフィルは相変わらず渋く輝いている。くもり空のような重量感がいい。合唱もうまくオケに溶け合っている。プレヴィンの醸し出すふくよかな音はじつに上質、キメこまやかな質感がたっぷり。ことに、「サンクトゥス」は素晴らしい。
プレヴィン指揮ロンドン・フィル、合唱団
ロバート・ティアー(T)
1980年4月21-24日、ロンドン、ウォルサムストウ・タウン・ホールでの録音。
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