アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(Pf)興南高校優勝。
打線の活発さもさることながら、島袋投手がいい。野茂を彷彿とさせる豪快なフォーム。フォークを使うところも似ている。
スピードが思ったよりも速くないところも、野茂にそっくりなのだ。ただし、選手時代後期の。そのあたりスカウトはどう判断しているのだろう。プロで見てみたい投手である。
ミケランジェリの「謝肉祭」のセッション録音では、DGのものを以前から愛聴していた。ピアノの冴えは、音質の凡庸さを補って大きく余るほど圧倒的。精緻な技巧とひんやりした霊感を併せ持った比類のない名演奏といえる。この演奏を聴いてしまうと、他のピアニストによるものが生ぬるくて聴いていられない、そんな呪縛にはまってしまうのだ。
もうひとつのセッション録音は、DGから18年を経たEMIのもの。この演奏は今回ようやく初めて聴いた。理由は、DG盤でじゅうぶんに満足していたことと、聴くのがなんだかもったいない気がしたのと、もし悪かったらどうしようという無駄な心配が、躊躇させていたわけ。
けれども、シューマンのメモリアル・イヤーということでオトクなボックスセットが出てしまったら封印を解かないわけにはいかない。なんて、大げさだけど。
人生、山あり谷ありクロード・チアリということで、ようやく聴いたミケランジェリの新盤はどうか。
キレよりもコク重視の演奏である。DG録音に聴くことができる、瞬間的に沸騰するような切れ味はここでは薄く、代わりに角のとれたたっぷりとした潤いがある。
音符のひとつひとつを丁寧に弾くところは同じだとしても、出てくる音楽はけっこう異なる。表情のつけかたは新盤のほうがこころもち粘っていて、変化はやや大きい。音の質量はこちらのほうが軽めに聴こえる。録音の加減も違っていて、EMIのほうが柔らかい。
DG録音における「再会」は、レコード録音史上の奇跡だと思うが、こちらはやや凡庸。全体的に丸くなったぶん、霊感もマイルドになったようだ。シューマンの夢想はやや浅い。
DG盤1975年1月15-21日、スイス、トゥーンでの録音。
大正池のバス停から河童橋まで、てんでばらばらに歩いてゆく。
このような道しるべは多くないが、人がぞろぞろ歩いているので迷いようがない。
田代池。ここも水が冷たい。底まで透けるようである。もっとも、水深は30センチ程度であった。
ここで、添乗員のオギ(オギヤハギのオギに似ていたので、ひそかにそう呼んでいた)を発見。上高地は涼しいとはいえ30度近くあるなかで、スーツの上着をばっちり着込んでいる。
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ミケランジェリのEMI録音は、このシューマンのほかにはラヴェル・ラフマニノフのコンチェルトしか聴いていないような気がします。ことにラヴェルは素晴らしいです。サイトで調べたら4枚組のBOXがあるのですね。
BOXといえば、廉価のAURA盤は聴いています。全体的に音があまりよくないのですが、60年代のショパンのワルツ、これかなり好きですね。濃厚なロマンがおいしいのです。シャコンヌは70年代の録音で、これもよいかと。確かにこのあたりのピアノには生気を感じます
60年代までの録音と70年以降のDG録音とは、音質の違いもあり、ニュアンスが
大きく違って聴こえますね。