クラウス・テンシュテット指揮ベルリン・フィル島田荘司の「最後の一球」を読む。
名探偵・御手洗シリーズの最新文庫。彼はここでは脇にまわり、事件を陰から見守る役目。
超高校級と謳われながらも、紆余曲折し苦労を重ねてプロ入りするピッチャーの独白が、話の中心だ。
序盤の、御手洗と石岡クンとのゆるい会話もほのぼのしていて悪くないが、読みどころは投手が自ら語る半生に尽きる。片親に育てられ、裕福とはいえない生活のなかで、ひたすらプロ入りを目指して努力するといったストーリーは珍しいものではないかもしれないが、主人公の野球への真摯な取り組みに感動する。ことに、同い年でありながら目標としてきた天才スラッガーとの邂逅は涙をそそる。
実際になんども涙をフキフキ読み終えたのだった。
トリックそのものは前半にわかる。実に簡単であるから、これは著者の狙いではない。よってこの本は、謎解きで読ませるものではない。ひとりの人間の野球に対する思い入れと情緒の物語なのである。
つくづく野球モノには弱いのだ。
テンシュテットの「ロマンティック」。ロンドンフィルとの東京公演のライブ録音を気に入ったこともあり、このベルリンとのスタジオ録音も聴いてみた。
よく、テンシュテットの演奏はライヴに限るなどと言われる。そういうものかなあと思いつつ、最近何枚かスタジオ録音を聴いてみたのだが、けっしてそんなことはないと思う。同じ曲、例えばマーラーの1番や5番、そしてこのブルックナーを聴き比べてみると、スタジオ録音が劣るということはないように思う。
テンシュテットの特徴といえる、音楽の脈拍や息遣いの自然さが、聴いている自分の心臓の鼓動と合っているのである。テンポと強弱の按配や間合いの取り方やうねりの大きさが、違和感なくなじむのだ。ダイナミックの大きさもじゅうぶんにあって不足はない。このブルックナーもそう。
カラヤンの豪華なメタリック色に染まったターミネータ的な演奏や、クナッパーツブッシュの朴訥で神秘的な演奏などそれぞれ魅力的だけど、テンシュテットのも劣らない。彼のブルックナーは、情緒が深い。機械的な精確さや、浮世離れした感覚はないけれど、ちょっと泥臭くて暖かい。
1981年12月13,15-16日、ベルリン・フィルハーモニーホールでの録音。
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